デンマークに見る現代エネルギーデモクラシーの源流

エネルギーと社会のあり方が分散型へと変化していくなかで、個別の取り組みを長期的な時間軸の中で体系的に位置付ける思想、哲学、コンセプト、アイデアなどを探るEnergy Democracy Salon。今回は「デンマークに見る現代エネルギーデモクラシーの源流」をテーマに、中島健祐氏(デンマーク大使館)と飯田哲也(環境エネルギー政策研究所)の対話をお届けします。

豊かさを支える社会システムづくり

− まずは中島さんから自己紹介も含めてお願いします。

中島 デンマーク大使館の中島です。まずは私の方から自己紹介も交えつつ、デンマークの現在の姿からエネルギーデモクラシーを探るヒントとなるようなものをいくつかお話させていただきます。

私はデンマーク外務省のデンマーク大使館で投資部門に所属しておりまして、日本企業によるデンマークでの事業展開を支援することが主なミッションです。あくまで、仕事を通じて得られた体験的なことをまとめながら見えてくる姿をお伝えしますので、その中に皆様にお役立てるものがあるかもしれません。少しお付き合いいただければと思います。

まず、最初になぜデンマークなのか?北欧の国は他にもあるのに、どうしてデンマークか。皆さんはデンマークと聞いて思い浮かべることはそれぞれあるかもしれません。例えば、社会保障先進国とか、幸福度世界一位とか、エネルギーでは風力発電などの再生可能エネルギーを使っているだとか、いといろとあると思いますが、漠然と「豊かな国だろうな」と言うイメージはあるかと思います。基本的に良いイメージでデンマークを捉えているのではないでしょうか?では、その場合「豊かさ」とは何でしょうか?イメージの良い北欧の中でも、「幸福で豊か」と言われている背景は何なのか?

さまざまな定義や考え方があり、一言では表せませんが、「豊かさ」を実現するキーワードとして「価値創造(Value Creation)」が挙げられると考えています。これはいわゆる収益を上げるとか、マーケットをつくるといった狭い意味ではなく、「生き方」そのものにつながっていくような広い意味での価値創造です。私は価値創造の観点からエネルギーデモクラシーにつながる手掛かりをご提示したいと思っています。

まず、デンマーク人が考える「豊かさ」ですが、日常生活で感じる幸福感、生活の豊かさが人生における生き方や理念と近い関係にあると思います。 別の言い方ですと、実生活における「豊かさ」と「人生哲学」のような精神的なものがつながっているということです。最近の一般的な傾向として多くの日本人は生活している中で「豊かさ」を実感することはあまりないのではないかと思います。また、仕事をしながら「自分は何のために仕事をしているのか?生きているのか?」といったことを考えることもあまりないと思います。

もちろんすべてのデンマーク人が日常的に「豊かさ」を考えている訳ではありませんが、こうしたことを意識している方が比較的多いということは言えると思います。それは、ただ考えを持つだけではなく、豊かさをきちんと体験して維持し発展させるような社会システムやそのための教育制度を備えている点がデンマークの特徴としてあるからではないかと考えています。

つまり、先ほど申し上げたような「人生の意義」や「豊かさ」についての考え方が、観念的なことで終わるのではなく、現実の社会システムに反映され実感することができる。そうした精神的な面と実生活の体験が近いところでリンクしている循環型のシステムがあるように感じます。

では、その豊かさを感じられるシステムとは何でしょうか。

図1. 豊かさを支える社会システムとは

図1

宇沢弘文先生の『社会的共通資本』にも述べられていますが、デンマークの定義もほぼ同じです(図1)。第1に美しくて、豊かな自然環境が安定的、継続的に維持されていること、第2に快適で清潔な生活を営むことができるような住居と生活・文化的環境が用意されていること、第3に教育と関係しますが、デンマーク人だけでなく、移民も含めすべての子供たちに多様な資質を伸ばし社会に貢献するような能力をつける教育システムを整えていること、第4に疾病や傷病に対してその時点で最高水準のサービスが受けられること、最後に、この様なことを実現させるために資源は限られていますので、最も効率的でかつ公平に配分されるような社会システムが整備されていることです。

デンマークでは、エネルギーはまさにこの「豊かさを支える社会システムづくり」に係わってきます。では、豊かさを支える社会システムをどうやって実現していくかが課題となるのですが、デンマークの事例からいくつかキーワードが見えます(図2)。

図2. デンマークにおいて豊かさを支えるシステムを実現する為の要素

図2

まず「持続的成長(Sustainable GrowthもしくはGreen Growth)」です。2つ目が「リーダーシップ」です。これは、単に世界で主導権を発揮するということではなく、どのように小国デンマークが世界にかかわりながらイニシアティブをとっていけるかということがカギになっています。3つ目に「価値創造」です。最近では特に価値創造を重視する傾向がありまして、スマートシティなどでもデザインとイノベーションを活用して新たな価値を作り出し、社会変革に取り組むといった例があります。

つまり、「人生の意義」から導き出される真の「豊かさ」、それを実現するための基盤としてエネルギーが位置づけられている。エネルギーは単に国家を維持するとか、産業を発展させるということだけではなく、真に国民が豊かになるための社会インフラである。その意味でエネルギーにおいても産業中心ではなく人間に軸足を置いた議論がなされていると思います。そして「価値創造」により進化と発展につなげて行くという意味で、エネルギーは民主主義を支える根幹ですし、その意味でデモクラシーがきちんと組み込まれていると思います。

デンマークのエネルギーデモクラシー

− ありがとうございました。次に、飯田さんお願いします。

飯田 まず、デンマークで約30年前に書かれた『エネルギーと私たちの社会』という本の話からはじめたいと思います。

著者のヨアン・ノルゴーは、エイモリー・ロビンスやドネラ&デニス・メドウズの留学仲間というか、親友です。ヨアン・ノルゴーは省エネを中心とするエネルギー工学が専門で、連れ合いのベンテ・クリステンセンは社会学者、この2人がコラボレーションしてこの本を発表しました。

この本の内容は表紙にもあらわれていて、家の中から地球の外までつながっている絵が描かれています。つまり、普段の生活そのものがエネルギーと社会のあり方につながっているということですね。これは約30年前に書かれた本ですが、その根底にある考え方は今でも通用するものだと思います。

1990年代の後半に私はスウェーデンのルンドにいたのですが、スウェーデン南部とコペンハーゲンは目と鼻の先ほどの距離なので近いため、よく行き来していました。そういうなかで、ヨアン・ノルゴーやデンマーク工科大学の先生たちと交流をもつようになり、同じ北欧でもスウェーデンとデンマークではいろいろと違いがあることを実感しました。

その両方を見ながら、それぞれがたどった戦後の原子力の話、それに代わる新しいエネルギーにむけた取り組みの歴史的な流れ、さらにその当時に取り組んだものが現在どうなっているのかを調査研究や関係者にインタビューするなどしてまとめたのが『北欧のエネルギーデモクラシー』(2000年、新評論)です。

デンマークについては、この約30年でエネルギーシステムが集中型から分散型にかわっていて、まさに槌屋治紀先生の「エネルギー耕作型文明」を実現させています(図3)。特に、風力発電は普及が進んでいて、一人あたりや単位面積あたりで見た設備容量は世界第1位です。

図3. デンマークのエネルギーシステムの変遷

(赤:大規模火力発電、オレンジ:小規模コジェネ、緑:風力発電)

いまでは世界で風力発電が進んでいる国といえばドイツや中国ですが、1990年代はじめはそれらの国での導入はほとんどなく、世界の風力発電は米国とデンマークでの導入がほとんどでした。米国ではカーター政権時代の公益事業規制法(PURPA、1978年)とカリフォルニア州の生産税控除の組合せが効いて一時期に大幅に導入が進みましたが、デンマークは風力協同組合と固定価格買取制度の原型となる三者協定の組合せで着実に導入を進めていきました。

もとをたどると、1973年に石油ショックがおきて、デンマークには2つの団体が立ち上がりました。ひとつはOOA(Organisationen til Oplysning om Atomkraft)という原発計画を止めることを目的とした全国組織で、もう一つはOVE(Organisationen for Vedvarende Energi)という自然エネルギーの取り組みを進めることを目的とした草の根の組織です。

60年代の学生運動や対抗的政治文化のような前史を背景に生まれた「新しい環境運動」という性格をもった組織で、この2つの組織がうまく連携しながらデンマークの脱原発と自然エネルギーシフトへの動きをつくったといえます。古い写真ですが、トゥヴィン風車という木製のシンボル風車で、これはフォルケホイスコーレという国民高等学校の人たちが協力して1975年に建てたものです。こういったかたちでフォルケホイスコーレのようなラディカルな草の根の風土がOOAとOVEの活動につながり、やがて各地のセンター的な役割を担うようになりました。

写真. トゥヴィン風車(1977〜78年)

Tvind wind

最終的にデンマークは原発を入れないという国会決議(1985年)という結果になったのですが、その背景には目的をしっかりと性格の異なる組織を切り分けて立ち上げて、なおかつそれぞれ連携しながら進めるという運動の展開が上手かったように思います。

原発については、リソ国立研究所の研究者たちが推進の議論を展開する一方で、デンマーク工科大学のニールス・マイヤーをはじめとする研究者たちが反対の論陣を張りました。当時、いろいろな議論が交わされましたが、一番おもしろいのは推進と反対の高名な先生方が共著で本を書いたことです。双方の見解で共通する部分はいっしょに書いて、違う部分はそれぞれ別に書き、レイアウトも見開きでそれぞれの議論が明確に見えるようなかたちで、全部で6冊の本が発表されました。

写真. デンマークのエネルギー読本

デンマークのエネルギー読本

1973年に石油ショックがおこり、翌年の1月には政府と連携した電力会社が全国に原発15基を建設する計画を出してきたのですが、政治家たちが1年間時間をとって、公平な議論ができるようにしましょうということでモラトリアム期間ができました。そのときにデンマーク国民がこの6冊の本を手に、エネルギーと環境、原子力についてしっかり勉強することになり、最終的には原発のない社会を選びました。

その間にスウェーデンでは、コペンハーゲンの目と鼻の先で原発建設が強行され、デンマークは議論しているのにスウェーデンでつくられてしまうという状況が生まれました。そういったかたちで両国の動きがシンクロしながら、スウェーデンは1980年の投票で2010年までに原発をやめることを目標にしていましたが、現実には1997年の三党合意で原発廃炉の方針を改めて決め、まずコペンハーゲンの目の前にあるバルシェベック原発の1基目が98年、残りの1基が2003年に廃炉になりました。

風力発電の開発でも両国は対照的な違いがあります。スウェーデンは、日本やドイツも同じ過ちを犯したのですが、最初から1MW級のコンクリート製大型風車の開発から始めて失敗したのに対して、デンマークは20kW程度の小型風車から開発を始め、それを系統連系するところから始めました。小規模なものから実現し改良を進めながら徐々に性能を高めスケールを大きくしてゆく漸進主義で、しかも小規模でしたのでみんなで自分たちの電気を自分たちでつくろうという流れにもつながりました。

こうした流れが制度形成にもつながっています。電力会社と政府と風力発電協同組合が議論して、電気料金の85%の価格で風力発電の電力を電力会社が買い取ることで制度化され、これが現在の固定価格買取制度の原型になりました。実際にこれを参考にしてドイツが1990年12月に電気料金の90%で買い取る法律をつくっています。

スウェーデンでもささやかですが風力協同組合があり、バルシェベック原発の手前に1.5MWの風車があります。遠ざかる原発とこれからの風力というアングルの写真ですが、これが廃炉が決まった日の翌日の新聞に載っていたものです。さらに、風力発電の証明書を使ったエコラベル電気の仕組みも生まれました。

写真. バルシェベック原発と風車

先ほどの中島さんのお話を受けて、エネルギーはそもそもなぜあるのかを考えることで「豊かさ」の議論につながっていきます。電気とガスは2次エネルギーであって、それもあくまで手段です。本来、私たちは暖房や温水といった熱や、照明による明るさといったようなエネルギーサービスを必要としています。2次エネルギーの効率は高めることができても数%程度な一方で、エネルギーサービスはやり方しだいで5〜10倍にも高めることができます。しかも、その目的は経済や福祉であって、それは究極には幸福のためであるといえます。

私も北欧でいつも感じるのが、人々の暮らしや仕事や政治や教育などを通じて、その根底にある究極の目標は人間の幸せだというコンセンサスがあるということです。社会全体として、また、将来を考える上でのコンセンサスとしてそれが常に意識されているといえます。

それとは対照的に、日本では「電気料金が高い/安い」という議論が前面に出てきて、あまりに表面的です。そもそも高い方が電気を使わなくなっていいという見方もできますし、北欧のような持続可能性を織り込んで人々の幸福を考えるというような議論がほとんどありません。

もうひとつ、「価値の選択」が大事だという話もつながります。『エネルギーと私たちの社会』で対照的に示されているように、自然を制御しようとする発想で、数字の生産性にこだわり、物質的な競争のもとで外へ外へと開発に向かう「達成価値」と、自然と調和しようとする発想で、創造性をもって内発的な発展に向かう「存在価値」の2つの大きな価値の間でなにを選び、どのようにバランスをとっていくのか。この本自体も、エネルギーシナリオというハードな工学の議論と、やわらかいイラストを交えて社会と哲学を論じるソフトな面が用いられていて、示唆的です。

図4. 達成価値と存在価値

「エネルギーデモクラシー」をネットで検索してみると、いろいろな人が議論をはじめています。本が出た当時は私の造語でしたが、ある政治学者が面白い議論をしています。

これまでの民主主義は、基本的に代議制民主主義の質を高めるために熟議民主主義に進んできていて、デンマークでもコンセンサス会議のようなかたちで、社会のなかに新しいリスクが持ち込まれるときに普通の代議制だけでは限界があって、それを補うために意思決定の手段として熟議を組み込んできたと。

しかし、現在のエネルギー分野の変化のなかで起こりつつあるのは、熟議だけではまだ抜けている部分、つまり、自分が当事者になって発言するとか、なにか具体的な行動を起こすという部分に民主主義の進展があると述べていて、これをアソシエイティブデモクラシー(Associative democracy)と呼んでいます。

分散型で自然エネルギーが普及してきたデンマークには、6,500基の風力発電、1,000基のコジェネ、数千基のバイオマスがあって、その7割以上は地域の協同組合や農家や個人が取り組んで所有されています。そのひとつひとつに取り組んだ人たちの物語があって、100%自然エネルギーを実現させたサムソ島のような小さな地域でも紆余曲折に富んだ当事者たちの物語があります。

そういった当事者性をもった取り組みの積み重ねが、間違いなくこれからの民主主義の質を変えていくでしょう。改めてデンマークのこれまでの軌跡を振り返ってみると、その根底には常に「豊かさ」や「幸福」についての問いかけがあり、エネルギーデモクラシーの手がかりはそこにあるように思います。

信頼と価値創造

− いろいろキーワードや切り口があると思いますが、長期的な時間軸で考えて、過去・現在・未来という流れで議論を進めていきたいと思います。まずは過去について、歴史的背景からデンマークと日本を見たときに、社会システムや価値創造の面で共通点や相違点はどのようなところにあるのでしょうか。

飯田 価値創造というか、新しいものを生み出すという点でいうと「エコロジー的近代化1「エコロジー的近代化(Ecological modernization)」は、環境問題に対して対症療法的なアプローチではなく、現行の政治・経済・社会の制度に環境配慮を内部化し、構造的に環境問題を解決することを志向する言説群。」がひとつの分岐点だったように思います。

環境運動の歴史をひも解くと、60年代以前は遠くにある美しい自然を都市の富裕層が守るというロマン主義的な環境保護だったのですが、レイチェル・カーソン以降、環境は自分たちの内側にあるという方向に変わっていきました。そういった価値転換が60年代を通して起こり、デンマークでは新しいラディカルな環境保護運動につながり、日本では水俣病の経験もあり、大きく環境運動そのものが変わっていきます。

その流れのなかで地球サミットが開かれ、1972年に『成長の限界』が発表され、石油ショックが起こり、原発をつくろうという時代に入っていきました。そういった時代背景というか、社会のあり方の変化のなかでOOAやOVEといった組織の台頭が70年代にあって、日本もある程度は同じように展開していくのですが、その先が違ってきます。

デンマークや欧州は、そこから盛んにエコロジー的近代化を社会に内面化させていきました。これは、反対運動の二項対立的思考を乗り越えて、新しい環境政策や環境技術・ビジネスを生み出そうとする政治・経済的側面があって、特に80年代のデンマークは二項対立的なモードのOOAと、新しいものを生み出そうするモードのOVEが別々に連携しながら活動を進めていく状況があって、すごく戦略的というか、先見的だったと思います。

一方で、当時、日本でも新しい運動をつくろうとする人はいましたけど、社会の全体の価値として広がるまでには至らなかった。実質的に私がこの分野に入ったのもリオサミットのころからでしたが、その当時でも反原発運動しかなかった。新しいものをつくる議論やそれが交わされる場がなかった。挑戦しようとする人の課題だったのか、体制の問題なのか、あるいは大学などの先生があまりコミットしてなかったのか。

そういう歴史的な流れのなかで現れる新しい変化を、それはまさに価値創造なのですが、ほのかな変化を日本は排除してしまって、そこが結果として大きな違いをもたらしたのだと思います。

中島 そのOOAとOVEの仕組みを作ったのは誰だったのですか。

飯田 ヨアン・ノルゴーはもちろん、いろいろな人がある程度両方にまたがってかかわっていたようで、片方だけにかかわる人もいました。それでも組織としては2つを意図的に切り分けて話をしていたということはありますね。

中島 まさにそういった異なるフレームを連携させて、仕掛けながら戦略的にやっていた訳ですね。私も大使館での仕事を通じて日々エネルギーや他分野の戦略も見ていますが、デンマーク人はそういうのがうまいです。単に枠組み、フレームをつくるのではなく、二項対立にならない様に、議論が活性化する要素をあえて入れたりして、世論に働きかけたり、そこから新機軸を探るための議論をはじめていくのが上手ですね。

飯田 私は、価値そのものをつくる力量(コンテンツ)はデンマークも日本人も同じぐらいであまり変わらないように思います。

ただ、日本の場合は過去の文脈(コンテキスト)が先にきてしまう。原発と自然エネルギーの導入見通しについても、過去のシナリオで想定していた前提が大きく変わっていて、現実にどんどん自然エネルギーの導入が増えていくトレンドに入っているにもかかわらず、そういった変化の萌芽や新しいことを無視してしまう。そこが大きい。

特に官僚システムは、そもそも価値を生み出していないというか、すでにつくり出されている状況の正統性を守るのがなにより大事で、それを脅かすモノゴトを恐れてしまう。そういったところに日本とデンマークやEUの間で差があって、価値創造に着目すると違いが生まれているように思います。

中島 70年代に日本でも議論はあったが浸透しなかったという話に関係するかと思いますが、私がデンマークの政治家や官僚、民間の人と議論するなかで感じたものは、まず、一人一人が自分の理念や価値観、哲学を持った上で議論するところが違いますよね。信念をもっていて、制約や修正があるとしても、あまりブレない。

そして、もう一つは情報が公平に扱われている。政治家だろうが、官僚だろうが誰でも持っている情報は皆同じ。これは非常に大事なことだと思います。ですから、学生でも主婦でも対等な立場で議論がスタート出来ます。従って立場に関係なく建設的な議論が行われる。

また、小さな国で移民も受け入れていることと関係しているかもしれませんが、議論や、合意形成、異なる意見の集約に慣れており、その為の方法論も持っているこれは大きいです。課題を解決する際、その場をどの様に導いていくか、程度の差はあれ皆が感覚的にわかっている。肩書きや名声などで人を判断することもありませんので、議論の場において地位が高い特定の人の意見に流されることもない。

こうしたことは日本が学ぶべき点ですね。日本でもデザイン思考を取り入れた新しい対話の方法論が議論されはじめていますが、大抵の場合新しいやり方を試みている大手企業や大学などに限られていて、自治会などの地域コミュニティ活動で積極的に使われるケースはまだまだ少ないですよね。

− 「豊かさ」の話について、北欧は高い税負担のもとで社会を支える分配のシステムがつくられていますが、それはどのように維持しているのでしょうか。

中島 たしかに高い税率による所得再分配のシステムが機能していますが、実際は維持していくのも簡単ではありません。大事なことはデンマークも現在の社会システムを歴史の中で長い時間をかけて実現してきたということです。福祉などの社会保障制度にしても失敗もたくさんしていますし、今も制度を改革しています。目の前の問題を放置せず、いかに皆が納得する解決策を導き出せるか?コンセンサスというか、丁寧なアプローチで合意形成を図っていることは私たち日本人も見習う点だといえます。

飯田 税負担率も70%ぐらいですよね。社会保障と税を合わせて。そこには量と質の問題があって、 基本的には政府に対する信頼感が違っていて、北欧の人たちは喜んで支払って、その恩恵が目に見えてくる。例えば大学などは基本的に無料です。日本は粛々と払うが、その恩恵が目に見えない。不透明ですよね。そこが非常に問題ですね。税率が低くても教育や福祉や税の使途に不満があるような。

中島 彼らは高い税金は将来に対する投資だと言っています。ほとんどのデンマーク人は税金として支払った分は将来プラスになって還元されるという確信があるので、不満を感じていません。

政府に対する信頼については外務省でもよく話題に出ます。私どもの大使も「政治に対する信頼と政治家による意思決定」が重要だと言っています。デンマークの政治家が来日するときに聞くようにしているのですが、彼らに「なぜその政策を採るのですか?」と聞くと、多くの方が「長期的な視点で自分の孫や曾孫の世代が豊かになること、また、次世代のデンマークの子供たちが世界とかかわり尊敬されながらリーダーシップを発揮できるような環境をつくるためだ」ということ真顔で答えます。これによって地域社会から信頼を得る。

飯田 国民総背番号制が早くから実施されていて、それが税金とも紐付けられているので所得がわかるんですよね。その透明性に支えられた信頼がある。

それと、あらゆるモノゴトの究極的な目的は幸せであるという暗黙の前提があるので、結局は組織やモノじゃなくて人間にとってなにがいいのかという観点からモノゴトを組み立ている。

日本のエネルギー政策はこれとはまったく対照的で、例えば国の研究開発費でいうと、かつて原発が全体の90%で再エネは10%程度でした。その額の違いも大きいのですが、問題はその中身で、ほとんどが役に立つかどうかもわからない技術の実証実験に対する補助金になっている。ユーザーにとってどんな効果があるのかきちんと検証していない。上から目線でモノゴトが進んでいる。

原子力については、日本の中で知識を生み出して蓄積していないので中身がないというか、アメリカの基準を持ってきて横文字を縦書きにして電気事業法の中に入れている。なので、表向きはきれいに見えても身のあるものになっていない。

一方で、デンマークのいわゆる「スマートエネルギーシステム」は身のあるものを積み重ねてきているのですごく進化している。1980年代からコジェネも含めて地域熱供給が広がり、1990〜2000年代にかけて電力市場との統合がはじまる。すると、バイオマスなどの資源の価格動向を見ながら、時々刻々と変わる風力発電の発電状況が影響を与えるノルドプール2「ノルドプール(Nord Pool)」は、北欧4カ国が参加する国際電力取引市場。1996年にノルウェーの電力取引市場にスウェーデンが加わり、その後フィンランドとデンマークが参加し、2000年に4カ国の電力市場が統合されている。の電力スポット価格の指標を見つつ、エネルギー経済的に最適な熱と電力の供給を選択していくようになる。まさにスマート化が進んでいます。

その間に日本はなにをやってきたのかと。価値無創造というか、ひとつひとつのつくりはちゃんとしているように見えても、10年ぐらいの間隔で見るとなにも残っていない。

中島 同じようなことを日本のサービスロボット分野でも感じています。従来までに数百億円を超える国費が投入されていますが、未だ本当に国民のためになるシステムが開発されているとは言い難い。特に介護ロボットなどは縦割り行政の弊害で開発が進まなかった反省から、ようやく省庁横断的な動きが出てきて、厚生労働省は医療・福祉など現場の視点、経済産業省は産業化の視点で連携しています。しかし、問題は肝心の利用者が主体になっていない。そうなるとユーザーにとっても本当に必要な製品が作られない。そして中途半端なロボットが開発されて、福祉現場も使えない製品は不要だとなってせっかく作られたロボットが放置されたり、開発のための補助金が余ってしまう事態にもなっています。福祉現場は人手が足りず、有用なシステムであればすぐにでも使って福祉サービスを改善したいはずなのに残念なことです。その意味で、利用者中心の視点を組み込むことは非常に重要な点だと思います。人間中心主義ですね。

地域の未来と価値創造

− 日本とデンマークの過去から現在の流れを踏まえた上で、「分散型」「共生デザイン」といったようなキーワードがあるかと思いますが、未来について、地域からの視点も交えつつ、これから先の20〜30年はどのような価値を生み出し、現実をつくっていくことが必要でしょうか。

飯田 目に浮かぶ風景として、日本の地域をずっと回っていると、素敵でおしゃれな場所もありますが、総じて駅前の風景って、消費者金融とパチンコとコンビニで成り立っていて、無味乾燥というか。それに対してデンマークだとサムソ島のような小さな場所でも知的な密度感というか、文化的な空間が必ず整っていて、日本の地域の風景との違いが著しい。

同じように資本主義でありながらも視覚的な風景だけでもそういった落差がある。お金の話もあるかもしれないけれど、突き詰めると一人一人がどんな価値をその社会の中で発揮しているのかが、最終的にはそういった街並みのあり方にまで現れてくるのではないかと思います。

中島 スマートコミュニティなどでそれが話題になっています。例えば日本の新幹線の駅周辺はみな同じ風景ですよね。

コペンハーゲンでは、どうやってコンパクトで持続可能な都市をつくるかを議論しながら設計をしています。市民も含めたさまざまな参加者が豊かな都市についてのイメージを語り合い、また具体的な進め方も幅広く議論しています。

日本のスマートシティを推進する時その利害関係者は、たいていの場合、地方自治体、IT企業、ゼネコン、ハウスメーカーそして電力会社です。どこのスマートシティプロジェクトでもほとんど同じ構成です。

デンマークですと、これらに加えて大学、研究機関、デザイナー、文化人類学者、場合によってはアーティストなど芸術家が入ってくる。日本人からすれば「なぜ?」と思うかもしれませんが、普通に考えれば都市は産業のためだけではなく、むしろ市民が主人公である訳ですから、そこで暮らす住民の意見を取り入れるのは当たり前のこと。

さらに、そういった多様な人々の参加で進める場合は、議論の進行役が参加者を信頼して、彼らの意見を反映させないといけません。ところが日本の場合は、たいてい最初から排除しているか、入れている場合でも形式的な市民参加の場合が多い。多くの公共事業はあらかじめ方針とゴールが決められている。

コペンハーゲンの都市計画を担当する行政の人たちに聞くと「自分たちは制度や規制の観点から設計はできるが、芸術活動を行う場合、アーティストにとってどのような環境であればクリエイティブな感性が育成されるのかはわからない。だからできる限り異なる分野の人々が参加議論し、それを反映させていくことが必要だ」と言います。多くの市民が集まって、知恵を出し合うと豊かで懐の深い都市ができるという考え方が共有されている。このことをスマートシティの議論でもよく感じます。

現在、国内でも各地でスマートシティのプランがつくられていますが、日本のスマートシティ計画の特徴として、設計段階の構想図にほとんど人が描かれていないことです。デンマークではたいていの場合構想図には、そこで暮らす市民が描かれている。このことからも、日本とデンマークでこれから進展する地域の未来のイメージがはっきりと見えてしまう。飯田さんがおっしゃるように日本の都市における没個性的な街並みと、市民が中心の豊かな街並み違いはそういうところから生じているように思います。

飯田 トップダウンの目線だと技術的側面とか経済的価値だけを見てしまう。非経済的・非技術的な部分、つまり社会的価値が見落とされてしまう。だからエネルギーの議論も狭くなってしまう。原発が典型的ですが、原発が安いと信じられていたときは「なんで反対するの?」といった感じで、推進するエリートたちには一般の人たちの素朴な疑問を理解できなかった。

さきほどの風景の議論を建築物で展開すると、日本はピカピカつるつるしたオフィスビルをたくさんつくっていて、実際に中に入ってみると書類山積みの風景で、昔の雑然とした汚いオフィス空間と変わらないということが多い。ゼネコンと設備屋さんと役人だけでビルがつくられていて、表面的にはきれいに見せているけど、インテリア等の室内空間の設計といったソフトウェアシステムのデザインが50年前からまったく変わっていない。

ジェイン・ジェイコブズ3ジェイン・ジェイコブズ(Jane Jacobs)は、米国の女性ジャーナリスト。都市の再開発に対する問題提起をおこない、『アメリカ大都市の死と生』で都市の多様性の重要性を指摘した。が「新しいアイデアは古い建物からしか生まれない」という言葉を残しています。日本ではそういう発想がなくて、東京駅はかろうじて残りましたが、向かいの郵便局も結局は1㎡あたりの収益性で考えられている。モノゴトを決める人たちの中の軸があまりにも定量的な指標で測れるものに引っ張られ過ぎてしまい、街の風景もすごくバランスの取れないものになってしまう。ここがこれから掘り下げるべきところだと思います。

中島 デンマークの人たちは古いもの、伝統的なものと革新的なものをうまく調和させて融合させるのが非常にうまいと感じます。コペンハーゲン市がスマートシティのソリューションラボをつくっていて、そのラボが入っている建物が築400年位の傾きそうな古い建造物なのです。外から見ると、木造で土塀の建物ですが、中に入るとまさしく真逆で、ガラス張りのオープンスペースになっていて、自然に新しいアイデアが出てくるような環境をつくっている。日本でいうと、大手町とかの小奇麗で近代的なビルではなくて、京都の中心にある小さな町屋の中に最先端の研究所があるという感じです。そういった知的生産空間の設計において、伝統と革新をうまく融合することが実に上手い。

飯田 新しい知というか、価値創造はどういうコミュニケーション環境で生まれるかというと、いわゆる暗黙知と形式知をすごく巧みにデザインすることが大事。わりと新しいアイデアって雑談の中から生まれることが多いので、雑談や文化的なコミュニケーションがとりやすい空間と時間を意識的につくる。でもそれだけだと不十分で、集中するときはしっかり集中できる空間と時間もきちんと分けてつくる。

私が見たのは、スウェーデンの大学でしたが、古い建物の真ん中にテーブルをおいて、そこには朝10時と午後3時にみんなでケーキを持ち寄って、みんなでコーヒー飲みながら雑談をする。そのまわりがガラス張りのモダンな個室になっていて、目線と騒音は個室には届かないようにできている。小さなオフィスでもきちんとそういったコミュニケーションを意識した空間と時間の設計になっている。

さらにそれが街全体となると、それこそミュージシャンやアーティストが集える場所だったり、ニーズに応じたサービスがきちんとできるレストランだったりが有機的に街の雰囲気をつくっていて、世界中から誰が来てもその雰囲気を経験できて、滞在できる。そういったことが自然発生的に生まれるような街のデザインがある。

− 日本では「国土強靭化」という言葉に象徴されるように、相変わらず鉄筋とコンクリートで国土を塗るような流れになっていて、デンマークとは真逆に進んでいますね。

飯田 本当に時代錯誤というか、そもそもこの国にそんな金あるかということも疑問です。デンマークは自然の湖岸と海岸から300m以内は原則的に新しい建物はつくれないことになっていて、資源と景観は非常に厳しく守っている。一方で古い街並みも守り、モダンな部分もある。モダンだけど溶け込んでいる。社会全体のコンセンサスをつくりながら開発のルールもつくられてきた。

風力発電の建設可能なエリアについても、あらかじめ面的にゾーニングして住宅から600m以内は建設可能エリアから排除、歴史的建築物からも排除、海岸から300m、森も全部排除、ラムサール条約で守られているところも排除。高速道路とか軍事施設といった社会インフラも排除すると、最後は本当点のようなエリアしか残らない。その点に風力発電をつくっている。そういった制約はあるものの、風力発電をさらに増やしていくことで自然エネルギー100%を実現しようとする見通しをもっている。

日本の場合は、そもそも制約がないので、固定価格買取制度がはじまると一気に太陽光発電が広がっていってしまった。「やるべきこと」と「やってはいけないこと」についての社会的なコンセンサスつくる前に、モノゴトが進んでいってしまう。

中島 デンマーク人は、一見するとネガティブなことをポジティブな機会に転換させることが上手です。そこにきちんと行政側と市民側、かかわる業者がコンセンサスを作ってプロジェクトを進めています。例えば、コペンハーゲンに公害で汚染されていた港湾地区があるのですが、現在そこは水質が改善され、プールが整備されています。都心のリゾートのような地域になっていて分譲の共同住宅も建てられている。そうすると高所得者層やアーティストが集まってきて、新しい価値創造のエリアがつくられる。そして、その環境や雰囲気に引き寄せられて若い人も集まる。港湾をきれいにすることによって、環境が整備され、かつ新しい都市リゾートを作ることで土地の価値が上がり税収も増える訳です。市民も、そこに転居してきた住民も、行政も、どの利害関係者にとっても満足の行く結果となる。社会問題を発想の転換によって、課題を解決するだけでなく、新たな価値を創造することに成功しています。

他にもコペンハーゲンには移民が多く、治安が悪くてなかなか近寄れないようになっていた地区がありました。そこで、コペンハーゲン市は多国籍の人たちの文化とデンマークの文化の融合を目指して、BIG(Bjarke Ingels Group)というデザイン会社に新しい公園のデザインを依頼しました。そして、その地域の住人たちにも計画に積極的に参加してもらった。それぞれ出身国の遊具やお国柄を反映したアイデアを持ち寄ってもらい、多国籍公園というものをつくっています。それによって、地元の住民だけではなく、他地域の市民や観光客なども集まるようになり、治安も改善されて新しい文化的な環境として整ってきています。その結果、移民のコミュニティ問題、治安の問題を同時に解決しています。むしろ環境が改善されることでブティックなども進出し、地域活性化につながっており、ここでもマイナスがプラスになっています。複雑な社会的課題を抱えている日本も発想を変えて市民が主体的に働きかけながら形成されるコンセンサスを通じて解決する姿勢が大事だと思います。

経験とアイデンティティ

− 未来を考えて、新しい価値をつくり出す上で、若い世代がどのような教育を受け、経験を積んでいくことが必要でしょうか。

中島 大使館にはインターンシップでデンマークから学生たちが来てよく話をします。一方で日本の大学の先生が私のところに来て「自分の学生がグローバル化に対応できていなくて、企業から使えないと言われてしまうのですが、どうすれば良いのでしょうか?」ということを相談されることがあります。

私が見てもデンマーク人と日本人で能力はあまり違わない。しかし与えられている環境がかなり違うのかなと。環境により得られる経験の差っていうのはやはりありますね。

デンマークの学生は大学を卒業する前にインターンシップを通じて、一か国や二か国、海外で実務を経験していますよね。例えば、コペンハーゲンで勉強しながらアメリカに行ったり、あるいはフランスとか。欧米で経験した後はアジア、中国とか日本とか。そうすると、社会人として出る前に、異なる文化や考え方の違いを経験出来ますよね。それで、多様性の中で多面的なモノゴトの考えができるようになる。

それから、経験ということでいうと、大使館ではインターンにかなり高度な仕事をさせることがあります。例えば参事官などの人数が少なくそれぞれの業務が多忙なため、私たちのところに来る学生さんは基本的な情報収集作業を任されるわけです。そのなかで、例えば日本の貿易政策とかエネルギー政策についてのレポートをまとめる作業をすることもあるのですが、その内容の質が高かったりすると、そのまま本国の省庁に送付されて対日戦略の基礎資料として利用されることもあります。

これは日本では絶対にありえないことで、国が小さいということもありますが、インターンにそういうことをどんどんやらせてしまうのです。

他にも、コペンハーゲン市を世界にアピールするためにスマートシティに関するレポートをインターンに書かせてみたところ、あまりにも質が良くて、デンマーク工科大学の教授に評価してもらうと「完璧だ」と言われて、学生が書いたレポートのままコペンハーゲン市の正式なスマートシティのレポートとして採用された事例もあります。コペンハーゲン市では、この学生のことを自分たちの雇用を脅かす存在として冗談交じりに「恐るべき学生」と呼んでいたそうです。

こうしたことから、能力は基本的に変わりませんが、経験とその経験から得たものを発揮する場が与えられているというのは大きな違いなので、日本でもデンマークの学生が体験しているような機会や環境をいかに増やしていくか。幅広い経験にももとづいて柔軟で多角的な考え方ができる人が増えると、日本の硬直したエネルギー政策にも柔軟な発想が生まれる可能性があるのかもしれません。

飯田 アウディのトップデザイナーだった日本人の方が面白いことをおしゃっています。日本の自動車会社は毎回「新しいもの」を出していて、整形しすぎた「美女」のようにアイデンティティとかわけわからなくなっていると。日本とドイツの自動車会社の根本的な哲学的な違いは、ドイツはいかに「美しくするか」、日本はいかに「新しくするか」。

なぜそうなるかというと、日本は組織がタテ型で狭くて、その中でいかに新しくするかという枠組みで発想が規定されてしまう。発表した時にどこが新しいのかを外からも内からも気にする。そこで育つとどうしてもそういうデザイナーしか育たない。

その方は早く日本を出て海外に行った。組織の知には普遍的に通用するユニバーサルな知と、その組織でしか通用しないローカルな知があります。日本では前者よりも後者が大事とされている。いろいろな分野でのローカルな知と、国際的にも通用するユニバーサルな知の両方を若いうちに経験することが大事だと思います。

日本人は自分自身のアイデンティティを持つ人が少なくて、自分が依拠している組織にアイデンティティを任せてしまう。名刺も組織名が先にきて、名前が後にくる。相対的にその組織に依存しようとする感覚が強い。デンマークとか北欧は逆です。

土地や国家についても、北欧の人たちは「所有している」というよりは「預かっている」という感覚が強い。いまの時代、この時にたまたま預かっているという感覚でガバナンスしている。預かっている感覚ともつと同時に個人がそこになんらかの価値を生み出して貢献する、そのバランスが大事ですね。日本は、個人が所有感覚を強く持ちながらも、アイデンティティは組織に逃げてしまって、価値をつくり出せていないように感じます。

中島 そうですね、本当におっしゃる通りデンマークの人たちはアイデンティティを自分なりに咀嚼して理解しているので、何かに頼るということはあまりないですね。

やっぱり日本の場合は組織だとか、モノだとか、自分を支える「何か」がないと、なかなか自分自身で自分を肯定できないところがあるように思います。

例えば、議論をするときに、日本の方たちに「自己紹介してください」と言うと、必ず「○○社の○○です」とか「○○社で○○をやっている○○です」とか言ったりしますけど、デンマークの人たちはまず会社の名前とか言う人はほとんどいないですね。名前を言って、こういうことが好きで、こういうことに興味がありまして、仕事はこんなことをやっています、という自己紹介です。だからまったく順序が逆ですね。

一方で、いまの日本の人たちにアイデンティティをいきなり持てと言っても、なかなか難しいところがあるので、そういったことを経験して学ぶ教育の機会をつくることが必要だと思います。

共創のダイナミズム

飯田 社会そのものが複雑化しているので社会の課題もますます複雑化している。何が問題で何が問題でないのか、どこが対立しているのかいないのか。複雑化・多様化しているなかで、政府の役割もますます難しくなっていくし、できることも限られていく。

そういう意味では自分たちが政府に要求するだけじゃなくて、自分たち自身もかかわって一緒につくっていくというモードを生み出すことが必要というのは時代の潮流としてあると思います。

さきほどエネルギー耕作型時代が現実になりつつあるという話をしましたけど、やっぱりデンマークのあの分散型エネルギーの背景には、自分たちの使うエネルギーは自分たちでつくるという、それはもともと自分たちのもっていた権利であって、それを自ら実践することで取り返していくという民主主義の政治的実践という意味合いがある。

そういった動きがあらゆるテーマで起こりつつあって、エネルギーの分野では経済的にも社会的にもそのインパクトが非常に大きい。エネルギー分野はもっとも集権的で独占体質が強い産業構造があるなかで、いまや自分たちで生み出すことができる自然エネルギーの技術があり、それを支える政策がある。そして、実際にプロジェクトをはじめると、目に見えて地域でお金がまわりはじめて、雇用が生まれ、社会の自治感が高まる。

日本全体でご当地エネルギーをつくり出す活動をしていますけど、最初は本当にみんな素人というか、それこそ酒屋さんとか、かまぼこ屋さんとか、学校の先生とか、牧師さんとか、お坊さんとか、いろんな人が最初はなにもわからないなかで、教育も座学というよりラーニング・バイ・ドゥーイングというか、事業づくりを実践することによって、本当に生きた知を自分たちで手にする。同時に自信を持って、なおかつそのネットワークが自己組織的に広がっていて、それがポジティブに社会を動かそうとするダイナミズムを生み出す。

学校教育的なものもそれはそれで必要なのですが、自分たちで知を生み出しながら自ら学んでいく、そういったものがいまのエネルギー変革をつくっていく上ではすごく重要なことだと感じています。

中島 サムソ島と同様の経験を日本の各地で展開していくということですね。

飯田 そうですね。

中島 その時の推進者というのは、やはり地域の名主のような方がリーダーシップを発揮するのでしょうか。

飯田 それはすべての地域で違っていて、また、出会い方によっても違ってきます。行政が最初に火をつけることもあるし、会津電力であれば佐藤彌右衛門さんのような方が中心でリーダーシップをとっています。長野県上田市で「あいのりくん」という太陽光発電の事業モデルを進めてきた40代の女性はもともと小僧寿司の店員をやっていた人だし、小田原は老舗のかまぼこ屋さんだし、サムソ島のソーレン・ハーマンセンはもともと高校の先生でした。

最初のスタートアップは本当にいろいろな偶然ではじまって、そこで集った人の中で対話を繰り返していくと、自ずと中心になる人、技術面で協力する人、調整に汗をかいてくれる人などが浮かび上がってくる。あるいは最初はがんばっていたけどだんだん離れていく人もいたりして、いろいろな人たちの組み合わせでだんだん変化していくというか。100のご当地電力があれば、100の物語があるというか。

中島 もちろんそこでの場の形成の仕方とか、リーダーシップの発揮の仕方というのはもうまとめられて、共有されているわけですね。

飯田 そうですね、形式知にできる部分は『コミュニティパワー エネルギーで地域を豊かにする』という本にまとめています。

地域によっては事業からスタートすることもあれば、ゆっくりとしたワークショップからはじめることもありますし、本当にその都度「こうすれば前にいくのではないか」っていうサポートを続けています。まあ、正解はないのですが、前向きなエネルギーを生み出すように丁寧にサポートしています。

中島 それがみんなに迅速に共有できるようなシステムができるといいですね。

飯田 そうですね。

中島 デンマークでも、あるひとつの成功体験をみんなと共有するシステムをつくることが重視されています。日本の場合だと、自治体同士でノウハウをなかなか見せようとしない感じがあります。地方も自治体の活動だけに期待するのではなく、地域のコミュニティが主体となり、むしろ行政を動かして行く、ご当地得られた経験やノウハウを地域間で共有するようになってくると良いと思います。例えば北海道の経験を九州に共有できるようになってくると、全体の動きも加速していきますよね。

飯田 そうですね。少しずつそういう動きも起こりつつあって、それこそ会津電力とかは有名になってきているので、会津電力に教えを乞いに行く人たちもいるし、彌右衛門さんを講師に招いて学びはじめる人たちもいます。

すでに先行して取り組みをはじめている地域の近くで新たにはじめる地域が現れると、それらの地域同士で学び合うこともできるので、すべての地域にISEPが行かなきゃいけないというわけでもなくなってきているので、今後もさらに加速的に広がっていくと思います。

あとは、基本的なツールを整備して共有するシステムというか、そういう部分をもう少しサポートしたいと考えています。

中島 そうですね。共有について、デンマークでも競争がないわけではなくて、競争は普通にあるのですが、日本と違うのは競争があると日本はやっぱり隠しますよね。自分たちの手のうちは見せない。

デンマークでは、全部開示したうえで、その時点よりもさらにいいものをどうやってつくるかを考える。オープンにした上でさらにいい意味での競争がはじまります。どうやって他よりももっといい施設、いい制度をつくるか。だからよりポジティブなエネルギーを感じますよね。

飯田 そうですよね。誰が何をやっているっているという情報をオープンにしながらモノゴトを進める透明性はデンマークの特徴ですね。

研究分野でも同じようなことがあって、日本の研究者は同じような研究をお互い背中を向け合ってやっていたりしますけど、本当に特徴のある成果を出す研究者たちは、基本的な知見を引用しながら自分たちのオリジナルをつくり出している。すごくいい形のオープンイノベーションというか、そういった環境もすごく学べるというか、学ばないといけないところですよね。

− 最後に一言ずつお願いします。

中島 いろいろとありますが、有志が集まって行動を起こせば小さな変化は必ず起きる。でもうまく応用できるモデルがないと、単にエネルギーを発散させて終わってしまう。ですから具体的な形に結び付けられるようなデンマークの経験などが参考になればいいと思います。課題はたくさんありますが、最後まであきらめずに持続性をもって取り組んで行けば、いつかは打開出来ると確信しています。

飯田 改めて、歴史を振り返ってみると、いろいろなことが今日までつながっていて、そして、それが未来のダイナミズムにつながることを感じました。さらに、変化のなかで一人一人が果たす役割は昔もいまも大きく、ほのかに生まれる変化を大切にして、より大きな良い変化を生み出していきたいと思います。

(編集・構成/古屋将太)

 

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    「エコロジー的近代化(Ecological modernization)」は、環境問題に対して対症療法的なアプローチではなく、現行の政治・経済・社会の制度に環境配慮を内部化し、構造的に環境問題を解決することを志向する言説群。
  • 2
    「ノルドプール(Nord Pool)」は、北欧4カ国が参加する国際電力取引市場。1996年にノルウェーの電力取引市場にスウェーデンが加わり、その後フィンランドとデンマークが参加し、2000年に4カ国の電力市場が統合されている。
  • 3
    ジェイン・ジェイコブズ(Jane Jacobs)は、米国の女性ジャーナリスト。都市の再開発に対する問題提起をおこない、『アメリカ大都市の死と生』で都市の多様性の重要性を指摘した。
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エネルギーと社会のあり方が分散型へと変化していくなかで、個別の取り組みを長期的な時間軸の中で体系的に位置付ける思想、哲学、コンセプト、アイデアなどを探り、日本における「エネルギー×デモクラシー」を徹底的に思考するエネルギー哲学カフェ「エネデモサロン」。

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通信会社、コンサルティング会社を経てデンマーク大使館インベスト・イン・デンマークに参画。従来までのビジネスマッチングを中心とした投資支援から、プロジェクトベースによるコンサルティング支援、特にイノベーションを軸にした顧客の事業戦略、成長戦略、市場参入戦略等を支援する活動を展開している。

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1959年、山口県生まれ。環境エネルギー政策研究所所長/Energy Democracy編集長。京都大学大学院工学研究科原子核工学専攻修了。東京大学先端科学技術研究センター博士課程単位取得満期退学。原子力産業や原子力安全規制などに従事後、「原子力ムラ」を脱出して北欧での研究活動や非営利活動を経て環境エネルギー政策研究所(ISEP)を設立し現職。自然エネルギー政策では国内外で第一人者として知られ、先進的かつ現実的な政策提言と積極的な活動や発言により、日本政府や東京都など地方自治体のエネルギー政策に大きな影響力を与えている。

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