再エネの便益が語られない日本

日本ではなぜ風力発電や太陽光発電などの再生可能エネルギー(以下、再エネ)がなかなか入らないのでしょうか[1]。2014年の1年間に風力と太陽光が発電した電力量は、日本の総発電電力量のわずか2.9%です[2]。また、今年7月に政府から公表された2030年のエネルギーミックス(電源構成)案[3]でも、あと15年後にわずか9.6%と、諸外国に比べ著しく低い水準に留まっています。

日本でこれほどまでに再エネの地位が低いのは、再エネの便益がほとんどまったく語られず、コストや課題ばかりが強調されているからかもしれません。いや、「便益」という用語自体が日本ではほとんど語られず、概念自体が日本全体で希薄なような気がします。

「便益」が語られない日本

そもそも「便益 benefit」とは何でしょうか?おそらくある特定の分野の専門家(例えば経済学や土木工学関係の方)であれば「ああ、アレね。当然知っているよ」となるでしょうし、一般の方や専門家でも別の分野(たとえば電力工学)の人だと「え?何それ?聞いたことがない」となるかもしれません。知ってる人には当然のことかもしれませんが、この言葉は意外に知られていません(そして意外に知られていないという事実を、専門家は知らなかったりします)。

ちなみに「便益」とは何かということを調べようとすると、実は結構厄介です。便益は経済学ではあまりにも当たり前すぎて、ほとんどの経済学の教科書や辞典でも無定義でいつのまにか登場することが多いのです(ということを発見した、と筆者が経済学の先生にお伝えしたところ、「我々にとっては当たり前すぎる単語なので、それはまったく気づきませんでした・・・」とお答え頂いたことがあります)。

「便益」という単語を普通辞書で引くと、大抵の辞書では以下のような答えが返ってきます。

べんえき【便益】 便宜と利益。都合がよく利益のあること。(大辞林)

・・・これではなんとことかさっぱりわかりません。どの辞書も、経済学用語で言うところの「便益」については何も語ってくれないようです。ちなみに筆者が調べた中では、「コトバンク」というインターネット辞書が比較的わかりやすくかつ的確に解説しています。

べんえき【便益】 便益とはベネフィットのことをいう。
ベネフィット benefit ベネフィットとは製品やサービスを利用することで消費者が得られる有形、無形の価値のことをいう。(コトバンク)

また、より専門家向けには、以下のような説明があります。学術的には厳密ですが、決して親切ではない少々難解な表現です・・・。

べんえき【便益】 一般に財に対して人が払ってもよいと思う最大金額を「支払意思(WTP: willingness to pay)」という。厚生経済学では、この支払意思(WTP)を、財が人に与える経済福祉の貨幣表現と考え、これを「便益」と呼ぶ。(植田和弘他編著: 環境政策の経済学, 日本評論社, 1997, p.16)

実は、この最後の「貨幣表現」というところが重要です。「便益」は状況により「メリット」や「効果」と言い換えられることも多いですが、便益は貨幣表現でなければなりません。ここに理解の難しさがあります。なにごともお金に換算するのは世知辛い・・・と思われる方も多いかもしれませんが、今のところ貨幣以上にユニバーサルな経済評価指標を人類は見いだしていません。便益は貨幣表現にしない限り、客観評価ができないのです。この便益をメリットや効果などなんとなく抽象的な言葉に置き換えてしまうと、定量的・客観的評価をするという発想がなかなか出なくなってしまいます。

一方、貨幣表現にしたとたんに、便益は利益(profit)と混同されたり誤解される可能性が高くなります。便益と利益は違います。利益は特定の組織やセクターが得られるお金でしかありません。それに対して、便益はコミュニティ全体、国民全体、地球全体に再配分されるべきものなのです。ここにも若干の理解の難しさがあります。

「費用便益分析」はある分野では常識

もう少しわかりやすい例を出しましょう。「費用便益分析(CBA: Cost-Benefit Analysis)」という用語があります。「便益」単体よりも、むしろこちらの方が聞き覚えがあるという方も多いかもしれません。例えば、国土交通省から道路整備の費用便益分析について非常にわかりやすい文書が公開されています[4]。これによると道路整備の便益は、「走行時間短縮」であったり「走行経費減少」であったり「交通事故減少」であったりします。そしてそれらの貨幣価値に社会的割引率をかけて、現在価値に換算します。それが総便益となります。さらに、想定される費用と比較して、費用便益比(CBR: Cost-Benefit Ratio)」が1より大きくなれば、その道路整備プロジェクトは正当性を持つことになります。

上記の費用便益分析を再エネの分野に当てはめるとすると、例えば「CO2排出量削減」や「化石燃料消費削減」などがまっ先に挙げられることになるでしょう。実際に海外文献ではこのような効果を貨幣換算して、便益を定量化するものが多く見られます(雇用増加を便益に加えているものもあります)。しかし、日本では、再エネの便益の定量化は、国の審議会レベルでも産業界レベルでも、ほとんど議論されていないように見受けられます[5]

このように費用便益分析は、日本ではある分野(特に公共政策や土木工学など)では当たり前のように行われているものの、それ以外の分野(例えば電力工学)では実はほとんどあまり議論されていない、という点を押さえておくことは重要です。さらに、新聞やテレビなどメディアでもこの「便益」もしくは「費用便益分析」という専門用語がほとんど紹介されず、一般市民にとっては縁遠い言葉であるという点も留意すべきです。あまり耳にしない、縁遠いということは、無関心や無理解を生みやすい土壌が形成されてしまっている、ということになります。

「便益」を語らないメディア

さて、以下では、この「便益」という用語がメディアではほとんど紹介されない、ということを実際に見ていきたいと思います。なにごともエビデンス主義ということで、このことを客観的に立証するために、新聞データベースで「便益」や「コスト(費用)」という用語の出現頻度を分析してみました。調査対象は読売新聞、朝日新聞、毎日新聞、日経新聞の主要4紙です。その結果を表1にまとめます。

表1. 再エネに関するコスト・便益キーワードの出現頻度(件/年)

再エネに関するコスト・便益キーワードの出現頻度

調査期間:2010年1月1日〜2015年11月30日(6年間平均)/ 調査対象(データベース): 読売新聞(ヨミダス歴史館)、朝日新聞(聞蔵ビジュアル)、毎日新聞(毎索)、日経新聞(日経テレコン)の本社版・地方版の朝刊夕刊の見出し・本文 /検索キーワード: 「コスト(費用)」=「(コストor費用)and(再生可能エネルギーor再生エネor再エネor風力or太陽光)」, 「便益」=「便益and(再生可能エネルギーor再生エネor再エネor風力or太陽光)」

表1から得られる情報によると、各社で若干の多寡はありますが、キーワードの出現傾向はほとんど同じであることが読み取れます。すわなち、4紙平均で考えると風力や太陽光などのキーワードも含む再エネのコストに関しては年間で300件以上、おおよそ1日に1回は登場する確率となります。一方、再エネの便益について語る記事が紙面に登場するのは、なんと1年のうちたった1回しかありません。

このように新聞データベース分析から、「便益」の登場頻度は「コスト」の300分の1に過ぎない、という驚くべき傾向が明らかになりました。厳密にはテレビやインターネットでの調査もしなければなりませんが、この新聞の傾向は日本人全体の関心度とかなり相関関係にあると予想できます。これではほとんどの日本人が、再エネは無駄なコストがかかるばかりだと勘違いし、そこから得られる便益など思いつきもしない、という思考回路になっても仕方ないことになってしまいます。

新聞で(おそらくテレビでも)「便益」という用語があまり用いられない理由は、“benefit” に相当する日本語が固い経済学用語であり、専門用語ゆえに「読者に配慮して」他の言葉に「置き換えられる」のだと筆者は推測しています。筆者自身も経験があるのですが、翻訳をしたときに、この “benefit” を「便益」と訳してもわからない人が多いので「メリット」や「効果」など別の言葉に意訳した方がよいのでは?という意見を頂いたことが複数回ありました。

もちろん、「わかりやすさ」を優先するのであれば、よりイメージしやすい別の言葉に意訳することも可能ですが、「わかりやすさ」と「真の理解」はトレードオフの関係にあります。前述の通り、便益は貨幣表現です。いつまでもわかりやすさを優先していては、日本国民全員が “benefit” とは何か、とりわけ再エネから得られる「便益」とは何かが理解できないまま、混迷の21世紀をずるずると過ごしてしまうことになりかねません。この「便益」という用語、是非メディアでも日常的に当たり前のように取り上げて頂いて、国民全体で議論しなければならない重要なものだと筆者は考えています。その用語を知らなければ(知らされていなければ)、その人にとってその思想や概念が存在しないにも等しいからです。

海外では便益を語るのは当たり前

翻って海外ではどうでしょうか。筆者が風力発電に関する国際会議や国際委員会に参加するたびに驚くのは、工学系研究者や技術者が集う会合にも関わらず、「便益」などに代表される経済学用語や政策学用語がフツーに当たり前に飛び交っていることです。恥ずかしながら筆者も、風力発電の本や報告書を翻訳するようになって初めて、「便益」という用語(と概念)に出会いました。それまで学生時代から数えて25年間、電気工学のさまざまな分野を渡り歩いてきましたが、1回もその言葉に触れる場面がなかったのです。そのこと自体にショックを受けました。工学系研究者として、視野狭窄的に技術のことばかり頭でっかちになったらアカン、経済や政策など社会の仕組みも知らんとアカン、と思い立ち、今日に至っています。

考えてみれば当然なのですが、発電所や送電線の建設は巨額のコストを伴います。そして発電所や送電線は一企業の所有物であるという枠を超えて(もちろん一企業の所有物である場合が多いですが)、公共財に近いものとなります。そのような財に投資をするためには、透明性高く費用便益分析を行い、客観評価しなければなりません。海外では、とりわけ電力自由化や発送電分離が進んでいる欧州や北米では、このような費用便益分析が、学術論文レベルから産業界、政府、国際プロジェクトに至るまでさまざまなステークホルダーから公表されています[6]。むしろ産業界全体で費用便益分析を競い合っているかのようで、文字通り百花繚乱です。

ちなみに費用便益分析を行い、費用便益比が1を超えるときによく使われる英語表現は “justified” です。辞書的には「正当化された」「根拠がある」と訳されることも多いですが、なかなかこの定量的客観評価のニュアンスや背景にある概念がうまく伝わりません。しかしこのような場面で「正義(justice)」の派生系が登場するのは、海外の研究者・技術者の発想を理解する上で、非常に重要なことかもしれません。

日本では、再エネを大量導入すると系統増強コストが高くつく、という認識が流布していますが、海外ではむしろその逆で、再エネのおかげで送電線など電力インフラへの投資が活況である、という認識の方が多いです。事実、透明性高い費用便益分析の報告書が多数出されています。そしてこのような海外情報があるということ自体が多くの日本人に知らされていません。「便益」という言葉や概念が日本で十分浸透していないとしたら、このような情報があるということすら想像できないのも仕方ないのかもしれません。一般の方だけでなく、専門家やジャーナリスト、政策決定者でさえ、その可能性があります。それが、日本が現在陥っている最も深刻な問題のひとつであると筆者は考えています。

[1] 本稿は、「環境ビジネスオンライン」2015年11月16日号に掲載されたコラム『再エネに関する情報ギャップ(その1:便益ってご存知ですか?)』を加筆修正したものです。原稿転載をご快諾頂いた環境ビジネスオンライン編集部に篤く御礼申し上げます。
[2] IEA: “Electricity Information 2015” (web version) より筆者調べ。
[3] 経済産業省:「長期エネルギー需給見通し」, 平成27年7月 (20015)
[4] 国土交通省道路局都市・地域整備局:「費用便益分析マニュアル」(2008)
[5] もちろん、まったく議論されていないわけではありません。例えば環境省の「低炭素社会づくりのためのエネルギーの低炭素化検討会」が2010年に公表した報告書「低炭素社会づくりのためのエネルギーの低炭素化にむけた提言」では、再生可能エネルギーの便益について、CO2排出量削減、エネルギー自給率の向上効果、経済波及効果および雇用創出効果について定量分析を行っています。FIT導入前に既にこのような分析が行われていることは慧眼に値しますが、その後このような議論が国全体であまり活発になっていないのは残念です。
[6] 例えば以下の解説論文の参考文献をご覧下さい。安田:「風力発電系統連系研究の系譜」, 日本風力発電協会誌 JWPA 第9号, pp.33-40 (2013)