3.11後の日本のエネルギー×デモクラシー

エネルギーと社会のあり方が分散型へと変化していくなかで、個別の取り組みを長期的な時間軸の中で体系的に位置付ける思想、哲学、コンセプト、アイデアなどを探るEnergy Democracy Salon。今回は「3.11後の日本のエネルギー×デモクラシー」をテーマに、佐々木寛氏(新潟国際情報大学)のコーディネートのもと、小林正弥氏(千葉大学)×平川秀幸氏(大阪大学)×宮台真司氏(首都大学東京)の鼎談をお届けします。(2015年9月11日に開催された環境エネルギー政策研究所15周年記念シンポジウムより抄録)

15thanniversary_1佐々木 みなさんこんにちは、この鼎談のコーディネーターを務めさせていただく佐々木です。私は今日、新潟から駆けつけたのですが、この非常に喜ばしい日に招いていただいてありがとうございます。まずは、ISEP設立15周年おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。

新潟では「おらって」にいがた市民エネルギー協議会というものが去年の12月に立ち上がり、ちょうど9月23日に第1号の太陽光市民発電所を建設し、ようやくスタートすることになっています。ですから、ちょうど1歳ということで、ISEPが15歳ということですから、よちよちの赤ん坊が15歳のお兄さんお姉さんに指導されて今までやってきたということです。ISEPは「社会変革プラットフォーム」という役割を果たしてこられたわけですが、新潟でも、私たちの市民電力の試みを、本当に支えてくださいました。

私の専門は政治学で、民主主義論というものをやってきたのですけれども、この市民エネルギーの試みに参加しているプロセスで、恥ずかしながら今までの民主主義論というものがいかに貧弱であったかということを思わざるを得ません。現場でテキストにはない多くのことを学びました。今現場で進行していることというのは、民主主義論から見ても最先端のことだと私は思っています。文字通り「赤ん坊」のように、毎日毎日が新しい発見で、それを後で活字にしよう、本にしようと思うまま毎日が過ぎていきます。この経験はやがて政治学にしっかり還元しなければなと思っています。

今日はごく短い時間ですが、ここにいらっしゃる3人にデモクラシーとエネルギーについてお話をしていただきます。みなさんにご紹介するまでもなく、どの方も狭い意味におけるアカデミズムを飛び出して縦横無尽に活躍されている先生方です。それでは、小林さんから発題をお願いいたします。

臣民文化から市民文化へ

小林 今日はこういう記念すべき日に招いていただいて非常に光栄に思っております。私は今日、環境と平和に焦点をおいて、エネルギーとデモクラシーについての話をさせていただききたいと思っております。

本日9月11日で15周年ということをお伺いしましたけれども、9.11というとやはりアメリカの同時多発テロの日でもあります。これは、その後の世界、アフガニスタン・イラクの戦争につながり、そしてまた今それが中東地域の非常に大きな問題につながってきている。

そしてさらに3.11ですね。この9.11と3.11という流れは、世界に非常に大きな問いを投げかけてきている、簡単に言えば環境と平和において、従来の政策や社会のあり方が大きく動揺し混乱をする、そういう象徴であるわけですね。

日本でも東日本大震災、そして原発の問題の後、こういったことを無駄にしないで新しいものにつなげられないだろうかという問題提起が行われました。また世界の戦争の問題は、今日本において特に、集団的自衛権を容認するという安保法制の問題として議論されている所でもあります。ですから平和と環境というのはある意味では政治や経済にとって最も重要なポイントで、それが9.11、3.11といった日に問われるということになると思います。

そして私が今日、一番重要なポイントとして申し上げたいのは、デモクラシーとの関係において、これまで「日本においては市民文化がなく臣民的だ」、要するに「お上が決めたことにただ唯々諾々として従う文化だ」というように政治学では言われていたのだけれども、こういった事件を通じて、これから我々が直接政治や社会に関わるという「市民文化」への転換がようやく起こりつつあるのではないかということです。

例えば政治の問題を考えてみれば、現在の政権は、アベノミクスという経済の問題を訴えることによって成立した衆議院選挙の議席を根拠にしている。しかし、そのあと起こっている問題を考えてみれば、その時多くの人々が意識していなかった問題を議員たちが国会で通そうとしている。こういった議員中心の考え方のことを間接民主主義といいます。これは、人々が主権者なのだけれども直接決めるのではなくて、議員という代表を通じて間接的に決める、という構造になっているからですね。

間接民主主義には問題があって、選挙の時以外にすごく大きなことが起こって、重要なことを決めようとしたときに、主権者の意思とまったく食い違ってしまうのではないかという問題です。

これは政治思想の中では、ジョン・ロックという人と、ジャン・ジャック・ルソーという2人の意見の違いとして現れていますけれども、フランスで革命の思想を提起したルソーは、当時のイギリスの政治体制に対して「イギリス人は、自由だとおもっているが、それは大きな間違いである。彼らが自由なのは、議員を選挙する間だけで、議員が選ばれるや否や、イギリス人は奴隷となり、無に帰してしまう」と批判をしたわけですね。ですからそれ以外の時には、人々が集会などに出ることによって直接に参加し、主権者としての意思というものを明確にして行使することが大事だということになります。これは参加民主主義とか、直接民主主義と言います。

そして、こういった観点から見ると、今、エネルギーの問題、それから平和の問題を通じて、多くの人々の意思と国会における議席を代表する多数の意思とが大きく食い違っている。だからこそ、デモクラシーというものの原点に立ち返って、人々が改めて意見を出してかかわっていくという必要がある。今、国会の周辺で行われているデモなんかも、その表現の一つの形態であると思います。

そして私は、マイケル・サンデル教授の「ハーバード白熱教室」がNHKで放送されてから、正義の問題も、哲学の問題として色々と論じています。今日は時間が短いので、そういった正義の中身について詳しく立ち入ることはできませんが、いくつかの代表的な正義の考え方というものがあるのです。そして私は3.11の後に「原発の推進というものが果たして正義と言えるのだろうか」ということを色々な場で議論してきました。

結論から言いますと、当時は色々な議論があったのですけれども、今ではその結論というものは明確になりつつあります。当時の議論からすれば、専門家の間でも推進派と反対派がいて、議論が分かれてくる。だからこそ一般の人々が議論をしていって熟議の民主主義として決めていく必要があるということでした。

私は哲学的にそういう議論をおこなって、時間とか空間の観点、特に将来世代の観点やグローバルな観点から考えてみると、やはり原発の推進というのは、非常に大きな問題をはらんでいるのではないかと、こうした議論をそういった場でしたんですね。

そして、その後の展開を考えてみると、当時例えばコストの問題、あるいは原発なしにエネルギーは十分だろうかという問題も色々議論されましたけれども、結果的にはコストも原発は高いですし、エネルギーはそれがなくても十分に足りるということが明らかになりました。自然エネルギーがどんどん導入されていくということが分かってきたわけですね。

それからリスクの面を考えても、原発は立地周辺地域に特に大きなリスクを与えるという点で、非常に不正義です。一部の人だけに多くの問題を押し付けるという構造になっている。それからやはり、使用済み核燃料の問題や将来の大事故の問題を考えてみると、将来の世代に巨大な不正義を押し付けるということでもある。ですから、どういう思想的な立場から見ても、原発は結果的には不正義であるということについて非常に明確な結論が成立してきたのではないかと私は思っています。

マイケル・サンデル教授や私は、政治哲学のなかで、美徳とか共通の善というものを重視するような「コミュニタリニズム」という思想を主張しています。こういった考え方から見れば、やはり人間というのは環境の中に生きていて、人間は公共善・共通善という観点から環境の問題を考えてみる必要がある。そうすると、やはり正義に反するような原発は退けて、自然の中でエネルギーというものを自分たちの力でつくっていくという、エコロジカルなコミュニティの発想が大事だということになります。

そして政治学の世界では、民主主義と非常に深い関係がある「共和主義」という思想があるのですが、これは「みんなが公共的な関心を持って自分自身で決定し統治していく」という自治の思想です。一般には政治について言われることなのですが、私はエネルギーに関しても、自分たちで統治するという時代がきたと考えています。もちろん大きな電力会社が今後どうするかということについては、国家の決定が関係するわけですけれども、制度も改正されたので、自分たちがどういうエネルギーを使うかということについてはある程度は一般の人々の意思で決めること可能な状況が生まれつつあるわけですね。

ですからこういう点から見ると、エネルギーにおいて自己決定をして統治していくということが可能になる。これはある意味では民主主義が、国会とか議員に任せていくのではなくて、自分たちが直接決めていくという、そういう時代がエネルギーにおいても現れつつあるということの1つの例だと私は思います。

今、安保法案が大きな問題になっていて、毎週国会で採決しようという動きが進んでいますけれども、逆にいうとそれに対する反対の声というのも広がっている。

私は、あれはデモクラシーという観点から見ると人々が自分たちの力に目覚めて声をあげつつあるという新しい時代の始まりの面もそこにはあると思います。今回の国会でどう決まるのかということに関わりなく、日本の人たちが主権者としての意識に目覚めて、自分たちの運命を自己決定するという時代への流れ、大転換の流れというものが政治においてあるのでないかと思うのです。

もちろん私は議会を通じる民主主義、間接民主主義というものも大事だと思っているのですけれども、それが十分に機能しないとき、一般の人たちの意思とかけ離れたときには、直接声を上げるという直接民主主義をも通じたデモクラシーが必要ですし、今、ある意味ではそれが生まれつつある。それが、いまのエネルギーデモクラシー、さらには日本のデモクラシーの今後にとって、もしかしたら日本がこれまで経験していなかった新しい市民革命へと繋がっていくかもしれない。そういう希望を感じております。

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