太陽光発電を巡るトラブルから考える日本の土地利用制度のあり方

2016年8月26日

日本の国土は、都市部においては戸建て住宅の空き家やマンションの空き室が増加し、農山村では耕作放棄地や管理放棄森林が広範にみられるようになってきた。そうした中で、アベノミクスによる異次元の金融緩和もあって、都心の土地バブル、農山村におけるメガソーラー設置を巡るトラブルが起きている。

こうした現象は、日本の人口減少社会が持続可能性を失いつつあることを示すものであり、その原因には、日本の土地利用制度のあり方が関係しているのではないか。

本稿では、農山村における太陽光パネルの設置を巡るトラブルを切り口に、土地の所有権の在り方がどのように関係しているのかを明らかにしたうえで、今後の土地利用制度のあり方を提言する。

衰退過程にある日本農業の再生のあり方

デフレ経済下、人口が減少し、高齢化が進んでいる日本では、農産物・食料の需要が減少するとともに、農産物の価格低落が起こっている。その結果、農業部門全体でみると、総売り上げは減少を続けている一方で、生産に必要な資材価格の上昇によって利益も縮小している。その結果、農業は魅力のないビジネスとなってしまい、参入する若者も少なくなって就業者の高齢化が進んでいる。その上、現に就業している人も経営意欲が低下し、これによって耕作放棄地も増えている。先般のTPP合意に対して将来の不確実性に対する必要な措置を講ずることができなかった場合には、この半世紀の間に80%から40%へと半減した食料自給率はさらに低下することになる恐れもある。それだけでなく、意欲ある農業経営から先に農業に見切りをつけ、地域経済の衰退が加速することになる恐れもある[1]

  • [1] 武本俊彦「TPP承認は内容とプロセスのレビューが前提=与野党は国会の場で熟議せよ」(Agrio 2016年3月15日号16・17頁)

筆者は、こうした事態に対抗して「儲かる農業」に転換する提言を行った[2]が、端的に言えば「売れるようにものづくりに取り組む」ことである。つまり、単に「農産物」を生産するだけの経営ではなく、消費者・実需者のニーズに適うよう、農産物の生産(1次産業)、加工(2次産業)、販売(3次産業)を組み合わせる「6次産業化」に転換することにほかならない。

一方、農山漁村は、太陽光・小水力・風力・地熱・バイオマスといった地域資源に恵まれており、これらの資源を管理・保全しているのは地域の農業者をはじめとする地域住民である。こうした人々が農業をはじめ地場産業に従事しながら、再生可能エネルギー事業に取り組んでいくことが考えられる。特に固定価格買取制度(FIT)の導入によって、電力会社が20年間一定の価格で買い上げることになったことで、安定した売電収入が見込めるようになった。

以上を踏まえ「儲かる農業」の経営モデルとして「6次産業化+エネルギー兼業」を提言した。これは、化石燃料の使用をできるだけ減らすという地球温暖化防止への活動につながっていくことに加え、地域全体でみれば、地域住民がエネルギー源となる自然資源を活用してエネルギーをつくることを通じて日本全体のエネルギー転換を確実にする道でもある。こうした観点から農山漁村における再生可能エネルギー事業については、「農林漁業の健全な発展と調和のとれた再生可能エネルギー電気の発電の促進に関する法律」(2013年11月成立)により、地域の利害関係者の合意、地域への利益の還元の在り方、土地利用の調整の3点を事前に解決することを通じて推進されることとなっている[3]。また、太陽光発電については、農地で食料生産をしながら発電を行う「ソーラーシェアリング」を推進する観点から農地法上の規制緩和が行われたが、その一層の推進のためには土地利用規制のあり方の見直しが求められている[4]

  • [3]「農林漁業の健全な発展と調和のとれた再生可能エネルギー電気の発電の促進に関する法律」(2013年11月成立)の概要と、地域への利益還元や「計画なくして開発なし」の萌芽など同法の特徴については、前注掲載書の108頁以降参照。なお、併せて「まちづくり条例」制定で対応を=増える太陽光パネル設置トラブル=)(Agrio 2016年4月12日号23・24頁。
  • [4] ソーラーシェアリングの推進方法と農地法上の規制の在り方に対する提言については、武本俊彦「ソーラーシェアリングでエネルギー兼業農家をめざせ」(Energy Democracy 2015年3月18日)。

以上の推進措置に加え、FITによって、再生可能エネルギー事業としては、太陽光発電に加え、風力発電、農業用水路での小水力発電、畜産廃棄物等によるバイオマス発電等への取り組みが促進されることが期待された。しかし、FITが発効した2014年7月以降で見ると、その発電施設の設置は急速に進んでいる中で、9割以上は太陽光発電が占めており[5]、その事業者は東京など都市部に本社を置く企業とされている。その実態は、原子力発電所や大規模火力発電所の場合と同様、利益の大部分を都市部に持っていかれる、「外来(植民地)型開発」が大宗を占め、残念ながら地域への利益還元とその循環を通じて、雇用と所得を実現する「内発型発展」は限られている。

「外来(植民地)型開発」となってしまった再エネ事業が起こす立地トラブルの原因とその対応

太陽光発電が9割を占めている原因は、風力発電など他の電源に比べ、FITにおける買取価格水準が相対的に有利であったことに加え、環境アセスメントの実施や地元調整等がほとんど義務づけられていないことがあげられる。その上、事業実施の確実性が低い初期段階に「認定」を行う仕組みとなっていることもあげられる。

また、太陽光発電の設備認定に当たっては、FITの手続き上、立地される地元の自治体や関係住民に何ら情報開示がなされないままに経済産業大臣の認定が行われ、設置工事の段階で初めて関係者が知ることになっている。事業者とすれば、法令に従って認定を受けた以上、地元との調整の必要はないと考えているのだろう。

このような太陽光発電の設置を巡っては、地元関係者の意向が無視されることもあって、景観や生活環境上の観点から全国的に大規模太陽光発電所(メガソーラー)に係る太陽光パネルの設置に対し反対運動が起こっている。

例えば、高知県土佐清水市で計画されていたメガソーラーの建設のように地元住民の反対運動によって白紙に追い込まれたケースも出てきている[6]。また、環境エネルギー政策研究所(ISEP)の山下紀明研究員[7]によれば、事業者や行政への電話ヒアリングにより確認された50件の事例では、景観への懸念(22件)、防災面での懸念(18件)、生活環境への影響の懸念(12件)、自然保護への懸念(9件)等をトラブルの理由(複数回答)としてあげており、こうした事例は今後増えていくのではないかと懸念される。

こうした太陽光パネル設置をめぐるトラブルを回避するための方策として、最近FIT上の認定手続きの見直しが行われた。第190回通常国会で成立した「電気事業者による再生可能エネルギー電気の調達に関する特別措置法等の一部を改正する法律」において、(1)事業実施の確実性が低い初期段階での認定をやめて、系統接続契約の締結や事業運営の適切性を確認した上で事業認定する仕組みに変更すること、(2)設置場所を巡る土地利用規制の遵守や地域社会との共存が不可欠との観点から、新たに、認定時に土地利用や安全性に関する法令を遵守していること。また、事業実施中の点検・保守や事業終了後の設備撤去を求め、違反時の改善命令・認定取り消しを可能とすること、(3)認定申請時においても、土地利用規制や景観保全の観点から、地方自治体が事務執行する上で必要な事業計画に関する情報を地方自治体と共有する仕組みを構築し、事業の適切な実施を確保することとされた。

今回の制度改正によって一定の改善が図られたとはいえるが、事業者が遵守すべき「土地利用規制」や「安全性」に関する法令自体は、別に「法律」あるいは「条例」が存在していることを前提としているので、該当する「法律」や「条例」がなければ事業者の開発を規制することはできない。それでは、日本の土地利用制度は、開発をうまく規制するようになっているのだろうか。

日本の土地利用制度の特徴

まず初めに、土地利用制度のもとで行う規制は、外部の資本や技術の導入による開発をすべて否定するのではないということを確認しておきたい。

本稿では、規制とは地域における開発行為と地域住民の利害との調整を図ることを意味する。具体的には、開発地区の土地を所有しあるいは利用するための土地の権原を保有している事業者の開発行為とその周辺に居住する地域住民の生活環境や景観との調整をどのように図っていくのか、その際、開発事業者は、土地に対する権原があればどのようなことをしても許されるのか、あるいは地域住民には開発地区の土地に権原がなければ、生活環境や景観の観点からの主張はできないのか等の論点にかかわる調整を意味する。こうした両者の主張を調整するためには、根本の問題としてある「土地」(その空間を含む)に関する権利とりわけ所有権の在り方をどのように整理し、それを前提にどのような仕組みを構築すべきかということに応える必要がある。

日本には、土地利用の在り方を規定する法制度は、主なものとして、都市計画法、農地法、農業振興地域の整備に関する法律、森林法などがあるが、いわば縦割りの土地利用の規制が行われており、規制をかける必要があるところに限って規制をするという意味で、全国の全ての土地を対象に一元的に規制の網をかぶせた法律は存在していない。

なぜ、このような土地利用制度になったのであろうか。

1. 財産権の不可侵=個人的土地所有権の絶対性とその利用優先への転換のきざし

土地、資本、労働といった本源的な生産要素は、市場で販売するために生産できるものではなく[8]、「多重な調節防御の仕組み」[9]の下で取り扱われてきたことから社会の持続可能性が維持されてきた。しかし、市場メカニズムが社会の隅々にまで浸透していくと、例えば土地も「商品」として取り扱われるよう規制緩和の名のもとにその仕組みが破壊され、その所有権の在り方も「所有権が現実の支配事実と離れて独立に所有権という権原に基づいて保護されるということ、しかもその保護は特定人に対する対人関係としてではなく天下万民に対して与えられるということ」から「土地所有権の観念性と絶対性」[10](以下「土地所有権の絶対性」)という概念が成立し、市場メカニズムを支える制度になった。

  • [8] カール・ポラニー「新訳 大転換 市場社会の形成と崩壊」(東洋経済新報社2009年)124頁~126頁
  • [9] 市場経済は、「非市場的」な諸制度が複雑な相互作用を保ちつつ、制御されている関係にあり、したがって、市場は、<制度的な束>であり、その調節制御による多重なフィードバックで維持されると考えること(金子勝・児玉龍彦著「逆システム学―市場と生命のしくみを解き明かす―」(岩波新書・2004年)66頁)
  • [10] 川島武宜著「所有権法の理論」(岩波書店・1945年)122頁~。また、所有権の「抽象性と絶対性」の概念は、所有権の客体を商品自体からその交換価値に転換することを可能とし、このことによって市場経済が支えられることとなった。170頁~

すなわち、日本の土地所有に関する制度は、近世以降、年貢の領主への上納はむらを単位とする村請制となり、底土権は地主・本百姓が、上土権は耕作者がそれぞれ所持するという一地両主の関係が成立し、その具体的な行使のありようは各むらのルールに任されていた。

むらという総有団体によって管理されていた農地、林地、水利といった資源は、むらの構成員によって利用されるという総有[11]関係(これが「多重な調節防御の仕組み」)が成立していた。こうした土地に関する制度は、まず税制面では明治政府によって、村請制に代え、貢租負担者から徴収する地租へと改正された。その結果、納税義務者を確定する観点から、貢租義務者であった地主・本百姓を土地所有権者とし、現行民法の制定により農地賃借権が債権と位置付けられ、物権と位置付けられた農地所有権に従属する関係に整理されたことがあげられる。また、明治における地方制度の導入と明治の大合併を通じて、自治機能を有していた近世のむら社会が解体された[12]

  • [11] 一つのものを複数の人が所有する場合の法律関係は、共有、合有、総有の3つの概念があるとされている。共有とは全くの個人主義的なもので、いつでも自由に単独所有に分割することが可能とされている。合有とは、ある程度団体的拘束が存在しており、共有のように自由に分割したり持ち分を処分したりすることができなくなるものとされている。総有とは、団体的拘束がさらに強くなると、個々の構成員の持ち分というものを観念することさえできなくなり、集団で一つのものを所有しているが、個々の構成員は持ち分はなく収益権能しか残らない形態とされる(内田貴「民法Ⅰ[第4版]総則・物権総論」(2012)東京大学出版会)。
  • [12] 松沢祐作著「町村合併から生まれた日本近代 明治の経験」(講談社メチエ・2013年)(村と土地所有・村請制は45頁、地租改正による租税負担が個人責任化することで合併が促進され、近世社会の構成単位である身分制的な社会集団、すなわち村が解体され、均質な空間としての町村が誕生した。81頁以降)

以上の改革を通じて、近代的な土地所有権制度が確立することとなった。その後、戦後の農地改革によって、全国的に多数の零細な農地所有者である自作農が創出されるとともに、高度成長期において、農村部から都市部への大量の人口移動が起こり、全国的な道路、橋梁、鉄道、工場用地、住宅用地等の整備開発によって地価高騰がもたらされ、生産手段と意識されていた農地の資産的保有意識を強固なものとした結果、農業集落(農村共同体)が持っていた土地管理機能[13]は実質的に失われたのではないか。

  • [13] 楜澤能生著「農地を守るとはどういうことか 家族農業と農地制度 園過去・現在・未来」(農山漁村文化協会・2016年)農地の自主管理(64頁~)農地の自主管理主体(集落)の法制化(78頁~)

土地に対する個人的権利の内容を共同体のような集団のルールによって調整するという考えは、個人的所有権の絶対性の行き過ぎを調整する装置としてはありうると考えられる。しかし、その場合でも総有団体のように新規参入を認めない閉鎖的な集団が制定した農民の自主管理ルールのようなものではなく、加入脱退の自由が保障され、構成員の一人一票制を原則とする民主主義が貫徹されている組織が制定されたルールでなければならないだろう。その上で、そのルールが個別所有権の内容に制約をかけるものである以上、法律又は条令といった法規範である必要がある。以上のことを踏まえると、共同体は地方公共団体又はそれと同等の性格を持ったものである必要があると考えられる。

なお、土地は、立地条件によって土地の価値が異なるなど個別性・特定性があることに加え、外部効果を有するものであることから、経済学的には「市場の失敗」のケースに該当するものである。したがって、土地の適正な取引が行われるためには、そもそも政府が介入せざるを得ない性質の財である。

それにもかかわらず、財産権の不可侵の概念を背景として個人的所有権の絶対性の主張が確立する過程で、「原則として建築・開発行為は自由」の観念が強固に根を張っていくとともに、単純な需給論(自由な取引によって、需要と供給との均衡点で価格と量が決定されるのが効率的であるとの考え)を前提に規制緩和による供給増加が図られれば土地問題は解決可能であるとの考えが確立していったのである。

しかし、憲法では、こうした個人的所有権の絶対性のいわば根拠ともいえる憲法第29条第1項の「財産権の不可侵」だけでなく、それを調整する第2項の「財産権の内容は公共の福祉に適合するように法律で定める」こととされている。政府の立場は、当初は「個人的所有権の絶対性」を基本としていたようである。

しかし、バブル期の土地高騰に対する国民的怒りを踏まえて成立した「土地基本法」(1989年)では、公共の福祉の優先(第2条)の理念を頂点に位置づけ、適正かつ計画に従った利用(第3条)、投機的取引の抑制(第4条)、土地の「価値の増加に伴う利益に応じた適切な負担(第5条)の4点は公共の福祉を実現するための理念として定められた。

その後、農地等の分野において土地利用優先の原則への一定の進化がみられるようになった。例えば、2009年の農地法の改正では、「農地の所有権又は賃借権等の権利を有する者」に対して、「当該農地の農業上の適正かつ効率的な利用を確保するようにしなければならない」という責務を明確化し、それを前提にして農地リースの場合に限って株式会社一般の参入を認めることにした。これによって耕作者がいないために発生する耕作放棄地の発生防止に役立つことが期待される。また、実際に発生した遊休地に関して一定の手続きを経た上で、都道府県知事が第三者に強制的に利用権を設定できるようにしている。

これは、土地所有者が「耕作放棄」という意思を有していたとしても、こうした土地所有者の意思を尊重することは法律上許容できないことから、第三者に効率的に利用する権利を設定することとしたものである。

以上からすると、今や第2項の「公共の福祉」の具体的内容とそれを規定する法規範(法律・条例)のあり方が問題になっているといえるのではないだろうか。

2.「計画なくして開発なし」「建築不自由」の原則

日本では、個人的所有権の絶対性を背景に「原則として建築・開発行為の自由」の概念が一般的になった。次にその点を歴史的に検討してみよう。

都市および農村の土地利用を規制する基本的な法律は都市計画法である。ヨーロッパの都市計画制度では、産業革命を契機に都市への人口と産業の集中が起こり、その過程で土地の所有にはその利用の在り方が社会的に制約(義務)を伴うものと観念されるようになり、その行使は「公共の福祉」に資するものでなければならないとの考えが生まれた。これに伴って、全国土を対象に「計画なくして開発なし」「建築不自由」のルールが確立していった。

しかし、日本ではそうはならなかった。日本でも人口・産業において同様の事態は起こったが、都市計画当局はこうした事態は一過性の現象であり、そこで必要とされる規制は過渡的な措置で十分との考えに立ったため、日本の都市計画法にはこのような原則が確立することはなかった。

そこには、「土地は私的財産権の対象」であり、その延長に成立した「開発行為は自由」という思想に取りつかれていたからと言える。つまり、公共の福祉の観点から土地に対して一定の社会的な制約が課されることはあるとしても、それはあくまで「開発行為は自由」の原則を前提に、例外的に財産権に規制を加えるという考えであった。このため、全国土を対象とする制度ではなく都市化が見込まれる区域に限って規制の対象とするという考え方を取ることになったのである。

以上のように、日本では「建築・開発の自由」が原則となってしまうのだが、そのことに加え、土地利用計画が縦割りに分かれていたことも土地の計画的な利用にとってさまざまな問題を生じさせた。

3. 都市計画と農地制度の二元的な土地利用規制

日本において1919年に初めて制定された都市計画制度(旧都市計画法)は、都市計画区域の外や市街地の外の地域では、特段の規制を加える必要がないと考えられた。その当時は農地転用に関する規制が存在しなかったこともあって、旧都市計画法の制定は結果的に「原則として建築・開発の自由」が確立する制度的な基盤となっていった。

一方、農地については、農地所有者(=地主)による改廃が産業と人口の集中に伴って広範に行われていった。JR山手線の外周部に沿って帯状に広がる「木造住宅密集地域(木密地域)」の誕生の一因となったのである。

こうした動きに対して歯止めがかかるのは、1941年の臨時農地等管理令という戦時統制立法においてであった。すなわち、「農地の無統制な改廃を防止しもって戦時下農業生産の確保を期せんとする緊急措置」として立法されたのであるが、「将来国土計画の樹立さるる場合においてはその計画に従い本令を運用することとなるべく、国土計画については目下企画院を中心とし農林省においても研究中にしてできうる限り速やかに実行に移したき考えなり」とされていたのである[14]。しかし、国土計画は制定されることなく、この管理令の規定は、戦後の農地改革を経て、農地法に引き継がれていったのである。

  • [14] 高橋寿一著「農地法と農地の確保―土地法制の動向も踏まえて」農業法研究44『今後の農地制度に問われるもの』(農山漁村文化協会・2009)

戦後の復興から高度成長によって、日本が農村型社会から都市型社会へ大きく変化し、農村部から都市部への大量の人口移動と都市部での産業の集中によって、都市的土地需要の増加と地価の高騰等が生じた。前述の旧都市計画法は、1949年のシャープ勧告で行政事務の国と地方の再配分の一つとして「都市計画は地方に全面的に委譲できる事務」と提示された。しかしながら、その後の朝鮮戦争の勃発によって改正に取り組むこともなく、高度成長による日本社会の劇的な変化の過程の中、1968年の新都市計画法まで生き延びることになった。

その結果、日本の土地利用規制に関する法制度は、一方で旧都市計画法が運用され、他方で一筆単位の農地転用規制が農地法において運用されるという二元的な体制が固定したのである。いずれにしても、農地法の統制は、あたかも農地に対する「開発不自由の原則」が一般的に確立したのと同じ意味を持つことになった。

1954年には農地の利用転換の基準・指針が農地転用許可基準(農林省事務次官通達)として定められた。この基準は、優良農地を保全しつつ、急速に増大する都市サイドの土地需要に対応していくための全国的なガイドラインとして重要な意味をもつものであった。

しかし、農地法は農地を非農地にするか否かの処分を行うものであって、転用後の土地(非農地)は、都市計画法で都市計画的なコントロールの対象としなければ、農地法で規制を加えることは基本的に困難であった。すなわち、都市計画による明確な枠づけ(土地利用計画に基づき必要な利用への転換を強制すること)もなく、また、農地転用後の土地利用に対する整序された利用・建築規制もない状態で、膨大な量の農地の利用転換が進められていったのである。

都市計画制度と農地制度における土地利用規制の不整合から、地価上昇とその外延的拡散が起こった。こうした問題を含め、「土地利用の合理化を図るための土地利用計画を確立し、それに基づく土地利用規制を行う」制度として、新都市計画法が制定された。

同法では、区域区分(市街化区域と市街化調整区域)と開発許可制度の創設などが導入された。しかし、区域区分制度が「特段の財政負担をかけることなく宅地供給を増大させ、物価上昇の抑制を図るための区域指定」とされ、その前提には土地・地価問題を単純な需給論で処理することが可能であるとの考え方をとっていた。

市街化区域内の農地は、区域制度自体が極めて重要な規制緩和措置として機能し、その結果、線引きにより市街化区域に編入された農地の価格は一挙に上昇し、その上昇した地価が区域全域の地価水準をさらに押し上げていった。

土地の現況や現実の利用内容とは無関係に高額な交換価値を持ちうる資産=土地商品であることを法制度上正面から認め、かつ、それを強制しようとしたものであった。農地所有者とって農業の生産手段であった農地は、前述のとおり、資産として保有する意識が決定的に強化されたのであった。

一方、高度成長によって土地への開発意欲が高まる中で、農地転用規制の実効性を確保するためには、農地制度における規制とバランスの取れた形で、都市法制の側においても転用後の土地利用について一定の公的コントロールの下に置く必要があった。しかし、都市計画制度自体は、前述のように土地問題は市場メカニズムで解決可能との考えに立脚していた。このように土地利用に関わる法制度間の規制の整合性、規制のレベルのバランスを欠いている状況にあった。こうした状況は、規制緩和論の立場から、相対的に規制のレベルの強い農地制度に対して強い政治的圧力が加わることになったのである。

以上、「個人的所有権の絶対性」から「利用優先」への転換、「建築・開発の自由の原則」から「計画なくして開発なし、建築不自由の原則」への転換、「農地制度と都市計画制度の二元体制」から「統合」への転換について検討してきた。それらの問題は、相互に密接に関連しており、「利用優先」「計画なくして開発なし、建築不自由の原則」「土地利用計画制度の統合」については、例えば「都市農村計画法」のような法形式において実現するとした場合、そうした立法化には多数のステークホルダーとの調整に多大の時間と努力を要することは想像に難くないのである。

そもそも国の法律レベルで行うべきであろうか。個人的所有権の在り方を共同体のルールによって調整するとすれば、別のアプローチがあるのではないだろうか。

新たな土地制度のあり方 − 地方分権を徹底する

2000年の地方分権一括法による「機関委任事務」の廃止は、国と地方自治体の関係を上下・服従の関係から対等・協力の関係へと転換することにほかならない。

その上、地方自治体に法令に違反しない限り全ての事務について条例を制定することができるようにした。これを自治事務と呼ぶが、土地に関する事務も原則としてこの自治事務となったのである。以上の点を実定法レベルで明確化するためには、「法律は制度の大枠的なものを定めるにとどめ、制度の具体的な内容は地方自治体の条例で規定できる」ように改正することが望ましい。

しかし、現行の個別法を地方分権の観点から見直すことは行われていない。残念ながら「大枠も法律、詳細も法律」という従来の考え方のままのものが残っている。そのことに加え「財産権の制約は法律でしかできず、条例ではできない」「法律を運用するにあたっては、条例を定める場合には法律の明示的委任が必要である」というドグマによって国の行政が運営されている場合もあるようだ。

そもそもまちづくりを徹底して分権化することは、以下の理由から必然的方向なのである。そもそも都市計画は、都市空間の形成と利用につき関係する多様な利害関係者がさまざまな要求を持つことを前提として、計画策定主体がその諸要求の相互の間で一定の価値序列を選択・決定することを意味するものである。

その計画と規制さらにはそれに基づく諸事業などが「公共的なもの」として人々に受容されるためには、そこで選択・決定された価値序列(都市形成の具体的かつ実態的な目標像)が「公共性」(その目標を実現するための手段として、所有と利用の調整の在り方、「計画なくして開発なし、建築不自由の原則」など具体的な適用のあり方)に則したものであると同時に、その中に都市形成の主体たるべき者(すなわち、主権者としての地域住民等のステークホルダー)の総意が適切に反映されていなければならないことから、計画の策定主体(地域住民に選ばれた首長)と策定手続き(地域住民に選ばれた議員が構成する議会の議決)が死活的に重要な意味を持つ[15]からである。

  • [15] 原田純孝編著「日本の都市法Ⅰ構造と展開」(東大出版会・2001)「序」

おわりに

本稿では、農山漁村の活性化のためには、地域資源の活用による「内発的発展」、すなわち、6次産業化に加え、エネルギー事業に取り組むことにより、その利益を活用して、自ら雇用や所得を創出する自律的な経済をつくり出すことも可能になると指摘した。

そして、太陽光発電などの再生可能エネルギー事業と土地利用規制のあり方を論じてきた。本稿でのあるべき土地利用制度のあり方は、その実現に時間を要するであろう。

しかし、鎌倉市、国分寺市などのいくつかの自治体ではまちづくり条例に関して先駆的な取り組みが見られるようになってきた。

したがって、当面はそうして事例に学びつつ必要な条例を作っていくべきだろう。その場合、歴史、風土、景観等の地域特性を活かしたまちづくりについて、目指すべき方向に関する予測可能性を明らかにすること、それを実現するルールは地域住民をはじめ利害関係者が参画した上で作成された原案を議会の議決にかけるなど民主的かつ透明性の高い手続きによって、構築すること肝要である。

そうした取り組みの中で土地利用計画についていえば、地域の全ての土地を対象とし、土地利用優先の原則に基づき「計画なくして開発なし」「建築不自由」を原則とするものとし、そのことを前提に、「まちづくりマスタープラン」に基づいた「地区計画」に従って、建築・開発が行われるようにすることである。

参考文献

本文脚注掲載以外で参考にした主なものは次の通り(順不同)

  • 渡辺洋三著「土地と財産権」(岩波書店・1977年)
  • 井出英策著「経済の時代の終焉」(岩波書店・2015年)
  • 大西隆編著「人口減少時代の都市計画 まちづくりの制度と戦略」(学芸出版社・2011年)
  • 本間義人・五十嵐敬喜・原田純孝編著「土地基本法を読む 土地・土地・住宅問題のゆくえ」(日本経済評論社・1990年)
  • 五十嵐敬喜編著「現代総有論序説」(ブックエンド・2014年)
  • 金子勝著「資本主義の克服 「共有論」で社会を変える」(集英社新書・2015年)
  • 金子勝・児玉龍彦著「日本病 長期衰退のダイナミクス」(岩波新書・2016年)
  • 武本俊彦著「研究論文 土地所有権の絶対性から土地利用優先の原則への転換―農地制度と都市計画制度の史的展開を通じた考察―」(土地と農業No.44全国農地保有合理化協会・2014年)
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食と農の政策アナリスト/野村アグリプランニング&アドバイザリー株式会社顧問・法政大学現代法研究所客員研究員・環境エネルギー政策研究所シニア・フェロー。1976年に農林省に入省。衆議院調査局農林水産調査室首席調査員、内閣官房内閣審議官、農林水産政策研究所長を経て、2013年3月に退職。主な著書は『食と農の「崩壊」からの脱出』(単著)農林統計協会、『儲かる農業論 エネルギー兼業農家のすすめ』(共著)集英社新書など。

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