「東電原発裁判」は市民による「現代の東京裁判」(書評)

2018年2月16日

2017年6月、画期的な裁判が始まった。福島原発事故から6年以上も経過し、初めて行われた事故責任を問う刑事裁判である。

「東電原発裁判 福島原発事故の責任を問う」添田孝史著/岩波書店

福島原発事故は、膨大な放射能をまき散らして大地や水を汚染し、今もなお続く避難生活で「原発関連死」が千数百人に及んでいる。

これほどの事故を起こしながら、いまだに誰一人として罪を問われていないことに納得できない人は多いだろう。

そこで福島県民らが国や東電を「事故は予見可能で、対策を怠った」と告発したが、東京地検は2度にわたって不起訴とした。だが、東京電力の元経営者3人に絞り、検察審査会で強制起訴を勝ち取ったものだ。

旧日本軍を組織論で読み解いた名著「失敗の本質」(戸部良一他著)は、敗軍の将の責任を問わないまま転戦させて負け戦を繰り返したことを原因のひとつに挙げる。

福島生業訴訟で10月に福島地裁判決で勝訴した南雲芳夫弁護士も「自分の失敗を反省しない人はまた必ず間違いを犯す。ですから私たちは何よりも責任を明らかにする」と語る。

「事故の責任はない」と主張して民事裁判では負け続けている国が、同じく負け続けている東電の原発再稼働を審査する仕組みは、とうてい信頼できない。それだけでなく、原発事故損害賠償のあり方、増え続ける福島第1原発の汚染水や廃炉費用、甲状腺がんなどの発症への対応などを、いずれも「反省していない人たち」が担っているのだ。

「東電原発裁判」は、検察官役も弁護士が担う、いわば市民による「現代の東京裁判」だ。今後、東電の責任を明らかにし、その過程で、これまで東電や国、福島県などが伏せてきたさまざまな事実も明るみに出すことを期待したい。

福島原発事故の「失敗の本質」とその責任を問うた後に、初めて私たちは「3.11後」に立つことができるのではないか。

本コラムは今回が最終回。ご愛読、ありがとうございました。

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日刊ゲンダイDigital:明日を拓くエネルギー読本「「東電原発裁判」は市民による「現代の東京裁判」」より転載

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1959年、山口県生まれ。環境エネルギー政策研究所所長/Energy Democracy編集長。京都大学大学院工学研究科原子核工学専攻修了。東京大学先端科学技術研究センター博士課程単位取得満期退学。原子力産業や原子力安全規制などに従事後、「原子力ムラ」を脱出して北欧での研究活動や非営利活動を経て環境エネルギー政策研究所(ISEP)を設立し現職。自然エネルギー政策では国内外で第一人者として知られ、先進的かつ現実的な政策提言と積極的な活動や発言により、日本政府や東京都など地方自治体のエネルギー政策に大きな影響力を与えている。

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