君の傍らにあるもう一つの世界

土曜夕方、仕事帰り。スーパーの駐車場で妻の買い物を車内で待つ。テレビのスイッチを入れ、TBS「報道特集」を観る。昨年からコロナ禍の日本で、10代、20代の若者の自殺が20%増加したニュースが流れる。

紹介されたのは、関西で育ち地元の大学を卒業した22歳の男性のケース。今春、なんとか就職を決めた埼玉のIT関連会社の寮に転居。両親も車で一緒に実家から荷物を運び、引っ越しを手伝う。帰り際、いつもは、ツンケンしている息子が、「遠くまで本当にありがとう」と照れくさそうに謝辞を口にした表情を両親は今も忘れられない。ゴールデンウィークは、大阪で拡大していた感染を心配して帰省を断念。

そして5月のある日、男性は、自ら命を絶った。インタビューに応じた男性の父親は、成人の日に息子にプレゼントした緑のネクタイで首をつったのは、最後の瞬間、せめて家族のぬくもりに繋がっていたかったからなのかもしれない、と語りながら嗚咽が止まらなくなった。父親は、今も耐えられなくなると、街の夜景を望む峠道の駐車場に車を走らせ、息子が大好きだった曲を聴きながら、独り泣いているそうだ。

今回のコロナ禍は、孤立を社会が強制する。家族から離れたワンルームに気の滅入る報道や情報が、否が応でも流れ込む。

自殺者の数も、統計学的な数字になった途端、その他の数字と同列になって特別な意味をなさなくなる。数字は、ひとつひとつの物語(エピソード)に変換してはじめて胸に迫ってくる。

若者が死に追いやられる社会は、何かがおかしい。戦争や不況、そして疫病の時代。社会は余力を失い、経済基盤も、人的交流も、社会経験も希薄な若者にそのしわ寄せが集中する。

今、息苦しさを感じている日本の若者に向けて、取り留めのない言葉を紡いでみる。

交響曲第3番「エロイカ」と英雄神話

1802年、ウィーンの街で一人の若者が、遺書をしたためていた。彼の名は、ベートーヴェン。今も残る「ハイリゲンシュタットの遺書」には、音楽家としての評価が高まる一方で、人知れず進行していく難聴への苦悩から、死の一歩手前に迫った心境が記されている。

その2年後、1804年に発表されたのが交響曲第3番「エロイカ」である。音楽家で精神科医の泉谷閑示氏によれば、この曲は、初演された当時、かなり異形の交響曲として受け止められていたという。

それまでの交響曲の定型では、闊達な第一楽章のモチーフを緩徐に繰り返すべき第2楽章が、「葬送行進曲」になっているからだ。さらに続く第3楽章も、定石ならば上品な「メヌエット」が並べられるのに対して、イタリア語由来の「冗談」を語源とする「スケルツォ」の明るく陽気なスタイル(諧謔曲)に一転。そして、第4楽章はバレエ音楽「プロメテウスの創造物」の主題を使った変奏曲で華麗なフィナーレを迎える。

プロメテウスは、ゼウスの反対を押し切り天空の火を人類に渡したギリシア神話の神であり、プロメテウスの創造物とは、与えられた火を使って文化や文明を切り開いた人間存在を指す。

泉谷氏よる解説を以下に抜粋させて頂く。

希望に満ちた若き無垢なる精神【第1楽章】が、世の不条理や諸悪に触れて一旦はペシミズム(厭世主義)【第2楽章】に陥る。ペシミズムとは、世の中を楽観的に〝善きもの〟と期待していたからこそ生じる〝悲観的〟観念であり、その楽観を捨てて、あるがままに世界を観ることによってこれは超克されます。そしてこれがニヒリズム(虚無主義)【第3楽章】の境地です。さらに最後には、これらすべてのプロセスを包括し、弁証法的にアウフヘーベン(止揚)した状態の【第4楽章】に至るのです。

第2楽章の「葬送」は、第1楽章的な世界観、すなわち世の中を〝善きもの〟と期待するような物の見方、つまり、若き純粋さが伴うことの多い、無知やロマンティシズムの死なのです。そこから再生した第3楽章は、光の世界しか見ようとしなかった狭き価値観から解放され、光も闇も〝あるがまま〟に受け容れた状態であり、そこから自ずと〝軽み〟が生じ、これが「諧謔」を生んだわけです。

そして、フィナーレの第4楽章は、これらすべての経験を統合し、それを豊かな土壌として創造的な存在として立つ人間の在り方を示しています。成熟した人間というものは、必ずや何らか創造性に満ちた在り方に脱け出ているものであり、しかもそれが、純粋無垢なる精神から出発し、光と闇とを直視させられるイニシエーション(通過儀礼)を経て、楽観や無知、はたまたセンチメンタルな情緒の世界をも卒業し、統合的に実現されるものです。それが、この「エロイカ」交響曲には象徴的に表れているのです。ベートーヴェンがたとえそれを表現しようと自覚的には意図していなかったとしても、そういうものがここに表れてしまっていると言えるのではないでしょうか。

泉谷閑示『本物の思考力を磨くための音楽学』より抜粋

泉谷氏によれば、この第3交響曲は、アメリカの人類学者ジョセフ・キャンベルの著書『千の顔をもつ英雄』にある「英雄神話」の構造と重なるという。英雄が一度、世界を「離脱」し、「イニシエーション(通過儀礼)」をくぐりぬけ、新たな世界に「帰還」するモチーフは、世界の民族のさまざまな神話に古代から繰り返し現れる死と再生の物語。

後年、ベートーヴェンは、もっとも気に入っている作品を問われ、「エロイカ」と即答している。

難聴を悩み抜いた絶望の淵にあったベートーヴェンが、ついに到達した心理的地平こそ、哲学者ニーチェが「これが生だったのか、それではもう一度!」と表現したあらゆる災いを肯定する「運命愛」の高みだったのだろう。

若さゆえの虚無主義やニヒリズムを超越したベートーヴェンは、この交響曲を作曲する体験を通じて、その後の数々の名曲を生み出す豊かな人生を全うできたのではないか、と泉谷氏は語る。

統合失調症の兄を持つ男の物語

「ロード・オブ・ザ・リング」や「スターウォーズ」などのファンタジー映画の世界でも繰り返し使われたこの英雄神話のモチーフは、現代を生きる私たちの日常を描いた小説の中にも現れる。

2020年にアメリカのHBOで制作された話題となった全6話のオンラインドラマ「ある家族の肖像” I know this much is true”」は、その典型例である。原作となったウォーリー・ラムによる分厚い長編小説は、本国アメリカで1998年にベストセラーとなった(日本語翻訳版『この手のなかの真実』)。

物語の舞台は、1990年のアメリカコネティカット州の架空の小さな街。主人公ドミニクの一卵性双生児の兄トーマスは、妄想型統合失調症を患っており、イラクへ侵攻した湾岸戦争の勃発は、自らの信心を神が疑っているためだという妄想にとりつかれる。

そして、40歳になったトーマスは、ある日、地元の図書館で、神への忠誠を誓い、突然、自らの右手首をアーミーナイフで切断する事件を起こす。

右手を失ったトーマスは、病院へ救急搬送された後、警察によって、危険人物として、州立精神病院管理病棟に強制収容させられた。弟のドミニクは、必死で、兄を病院から「救出」し、通院しながらも穏やかに暮らしていた以前のような日常を回復させようと、行政や病院側を相手に孤軍奮闘する。

しかし、兄トーマスの担当医は、弟のドミニクの感情的な振る舞いに、人生を見失い暗闇でもがいているのは、むしろドミニクの方であると判断し、彼のカウンセリングをはじめる。

この小説が興味深いのは、この女性精神科医を元文化人類学学の研究者という設定にしたことであり、主人公を精神疾患の患者本人ではなく、寄り添う家族とその周囲の人間模様に焦点を当てている点だ。小説の中では、明確にジョセフ・キャンベルの著作への言及があり、英雄神話の骨格で物語が編まれていることを読者に暗示させる。

本当の父を知らない双子のドミニクは、カウンセリングの際、さまざまな記憶を語る。ヒステリックな継父から受けた幼児期の厳しいしつけの記憶。愛する女性と出会い結婚したが、生まれてきた愛娘を生後3ヶ月で乳幼児突然死症候群によって失う。そのショックから立ち直れず、離婚し、高校教師の仕事も辞め、塗装業で糊口をしのいでいる。

トーマスの起こした手首切断事件や、新たな若い恋人との心の乖離。ますます孤独に追い詰められた彼は、真夜中に交通事故を起こし、入院する事態に。連鎖するようにアクシデントが、次々と彼を襲う。リビングのテレビからは、湾岸戦争で、油田に火が放たれて環境が壊滅的な破壊されている陰鬱な不条理劇を象徴するような映像が、連日垂れ流されている。

その頃、ドミニクは、シチリア島からの移民一世の母方の祖父が遺した手記を、精神科医に勧められたことをきっかけにして読みはじめる。母親が生前最期にドミニクに託した手記であったが、イタリア語で書かれているためその内容は、今回翻訳を専門家に依頼するまで誰も読んでいない。

手記を読むと、20世紀初頭にアメリカに兄弟で渡ってきた祖父は、教会と縁を切り、弟さえ裏切るおぞましいほど利己主義な人物であったことがわかった。トーマスは、その吐き気を催すほどの強烈な自意識の持ち主である祖父の歪な世界観に耐えられず、何度も頓挫しながら、自らの血筋を読み進める。

そんな中、ようやく精神病院から退院させることができた兄トーマスを、退院した日の夜更けにあっけなく事故死させてしまう事態を招く。

ドミニクは、すべての努力が水泡に帰したように感じた。母との約束を守れず病気の兄を守れなかった自分をこれまで以上に責め、耐え難き心情を精神科医にぶちまける。

「すべては自分の責任だ。呪われた血筋、祖父のおぞましい手記にあるように非業に対する呪い、カルマ(因果応報)でなくてなんだというのだ。」

精神科医は応える。

「ちがう。カルマや呪いや、遺伝など外部に原因を求めておけば、自分に向き合う必要がないので一番楽な道。自分自身に正面から対峙するのが一番困難な道。祖父の手記は、人格形成を誤り失敗した人間の寓話。血のつながりは関係ない。同じ過ちを繰り返す必要はない。人生には選択の自由があることは、わかっているはず。」

祖父の手記。そこには、血の繋がりのある一人娘以外誰にも心を許さなかった男のひたすら孤独な人生のモデルがあった。孤立を深めて亡くなった祖父姿は、現在の自分の姿そのものであることに気がつく。

優しく繊細だった統合失調症の兄を守ることを自分に課し、母親をはじめ周囲の期待に応えようと、幼い頃から常に双子の健康な方、アメリカ的マッチョな男性像を必要以上に演じ、背負い切れぬ責任を抱え、結局、自分の人生さえからも脱落しそうになっている現実。

ドミニク自身は、兄のトーマスとは対照的に熱心なキリスト教信者ではなかったが、自己の運命を無意識に「キリスト教的受難」と捉え、運命を呪う怒りの感情が常に内部に充満していた。

別れた妻をはじめ多くの人間が、自分へ手を差し伸べて愛情を注いでいてくれた別の現実世界が見えてきた。徐々にではあったが、ドミニクの世界認識は以前とは大きく変わっていった。

物語の終盤では、継父自身の生い立ちも壮絶なものであった事実を知り、必死で血の繋がらぬ幼い兄弟を守ろうとしていた彼なりの苦心も知る。さらに母の死と共に永遠の謎になったともおもわれた実の父親が、ネイティブ・アメリカンであったことが判明する。

それは小学校の教室で、密かな差別心を抱いていたもう一組の双子兄妹が実は、ドミニク兄弟と従兄弟同士であった事実を知る。しかも、小学生で亡くなった妹の死に彼は、深く関わっていた。ドミニクは、己の内部に巣くう欺瞞にも正面から対峙せざるを得なくなった。

世界は、清濁すべてが共存する。光と闇は容易には、二分できない。自分を許せない人間は他者をも許せない。完全な正義も完全な悪もない。虚無主義やニヒリズムを通過してあるがままの自らの人生を受け入れ、自らと折り合いをつけ、他者とのつながりの中に神は宿る、素直にそう思えたとき、ようやくドミニクは、世界と和解できた。

ベートーヴェンとドミニク。人生には、コントロールできることと、できないことがある。

彼らは、当初、過酷な現実を「悲劇」と捉えて、絶望していた。しかし、視野を広げて、一つ一つの「事実」をつぶさに見つめ、知的に意味を再構築することによって、現実を克服し、本来の自己に到達したのだ。

それは、絶望と怒りに支配されていた昨日までの自分自身にとっての「英雄」となって「再生」する神話であり、すべての人間の内面に宿る無限の可能性の物語のことである。

個からはじまる成熟社会

人間の内面の可能性を生きる社会。そんな「もう一つの社会」を現実に実現しようとする人々のイメージを知りたいなら、デンマークの環境学者ヨアン・S・ノルゴーとベンテ・S・クリステンセン共著による『エネルギーと私たちの社会』がおすすめ。

原著は、今から40年前、1982年にデンマークで出版され、北欧各国の学校教育の場で広くテキストとして使われていたもので、日本では2001年に飯田哲也さんが翻訳出版された。

現在のニュースでよく見る地球温暖化や炭素削減などの議論では、国や企業単位を中心に目標を掲げさせ、数字を競うモデルが多い。それは、私たちの日常生活とは大きな隔たりを感じる。

しかし、本書は、「個人の暮らし」を出発点にして、「どのような生活が個人を幸せにするか」という問いかけを読者に繰り返しながら、エネルギーという指針が、私たちが明日をどう生きるかという人生哲学と、一体であることを語りかけてくる。

「成熟した社会とは、成熟した個人によって実現される」というわかりやすいテーゼを設定し、衣・食・住、教育、医療、交通、余暇、そして政治や行政の役割が、平易な言葉とユーモラスなイラストを用いて書かれている。

それは、古典的経済理論や社会学を踏破した帰納法的発想のディストピア的未来予想ではなく、未来社会から今を問いかける演繹法とでもいう議論の進め方であり、インターネットや再生可能エネルギーの技術革新による人類史的な大きなパラダイムシフトが起きている今こそ有効な手法である。昨今話題のフィンランド発の精神医学分野で注目を集める「オープンダイアローグ」の中にある「未来の自分との対話」の手法に通じているのも興味深い。

本書ではデンマークの国民的作家、カレン・ブリクセンの言葉を引用して、男性原理による外向的「達成価値」と女性原理による内向的「存在価値」の二つの相互作用によって、豊かな社会はつくられるという哲学が紹介されている。

この本の根底は、「だれにとっても”Fearless”な社会を実現」することこそが、とりもなおさず地球環境を守り、持続可能な未来を引き寄せるという、しなやかな環境哲学のメッセージが息づいている。

映画「バベットの晩餐会」

1987年、チェルノブイリ原発事故の翌年、北欧デンマークで制作された一本の映画が、アカデミー外国映画賞を受賞した。タイトルは「バベットの晩餐会」。

デンマークの女性作家の短編小説が原作であり、20世紀初頭の若き日々を描いた彼女の自伝『アフリカの日々』は、前年に映画「愛と哀しみの果て」として、アカデミー作品賞をはじめ6部門を受賞しており、2年連続でデンマークのひとりの女性作家が世界の注目を浴びた。

作家の名は、イサク・ディーネセン。これは彼女の英語圏向けの作品に使用された男性名のペンネーム。本名は、カレン・ブリクセン。先に紹介した『エネルギーと私たちの社会』の中で、紹介した作家に他ならない。

「バベットの晩餐会」の舞台は、19世紀末のデンマークのフィヨルドに沿った小さな山麓の村。

マルティンルター派の厳格なカソリック教えに従う少数の村人が、物質的贅沢や現世の快楽を否定し、信仰による心の内面の豊かさのみを重んじたつつましい暮らしをしていた。厳しい自然条件のもとで、小さな村は、食事はジャガイモとささやかな野菜と鱈のスープを口にする単調な日々。年々高齢化が進む寒村に、減少する笑い声に反比例するように相互不信の諍いは増えた。

ある日、教会に暮らす二人の老姉妹に仕える女性給仕のバベットの富くじが当選する。彼女は、そのお金を全額使い、豪華な食材と食器をそろえて、村人たちにフランスの王宮料理でもてなす一夜限りの晩餐会を開催することにする。

ウミガメやツバメの巣などのフランス料理独特の食材が港から運び込まれ、調理されるシーンは、この映画が愛される最たるゆえんである。村人は、奇妙な食材が運び込まれる光景を見て、バベットの正体は実は魔女で、自分たちを堕落の罠に導こうとしているに違いない思い込み、一致団結して、食事中は料理の話題を一切口にしないことを取り決める。

実はバベットは、昔、フランス一のレストランで、貴族に最高の料理をつくっていた世界最高の料理長だったのだ。革命の際、共和制の市民側に賛同したため、追われる身となって小さな寒村に逃げてきた過去を持っていたのだ。しかし、村人は、誰もその事実を知らない。

一流の料理を知らない村人たちは、運ばれるコース料理を極上のワインと共に口にする。

取り決めしたとおり、だれも料理のことは口にはしない。しかし、不思議と気分が高揚し、皆の顔に笑顔と赦しの気持ちが拡がる。

晩餐会が終わり、戸外に出ると、すべては白い雪に包まれ、見上げると満天の星空。

人々は、村の小さな井戸の周りで手を繋いで輪になって、自然と賛美歌を合唱する。誰もが笑顔である。

世界最高の料理という究極のアートの「達成価値」と、心の充足感を満たすコミュニティという「存在価値」の二つの価値観の共鳴によって、豊かな社会はつくられる、という彼女の哲学が、余すところなく見事に表現されている寓話である。

苦しいときは、本を開いてほしい、音楽を聴いてほしい、映画やドラマ演劇をみてほしい。バベットの料理を口にしただけで、こわばっていた村人の観念が吹き飛び、世界が一気に愛に満ちて見えたように、芸術家が丹精込めて作り上げたモノに触れる、ただそれだけで世界のベールは一瞬にして開かれる。

君は断じて独りじゃない。