シルクストッキングの衰退が口腔衛生革命を起こした – ディスラプションのパターン Part 7

人類の歴史の大半において、人々が歯を磨くことは日常的なことではありませんでした。しかし、1960年代には、ほとんどの欧米諸国において、大多数の人が毎日口腔衛生をおこなう習慣を持つようになりました。口腔衛生はより広範な健康の中心であるため、歯科治療の主流化は世界の疾病状況に大きな影響を与え、糖尿病、呼吸器感染症、肺炎による死亡、心臓病のリスクと有病率を低下させました。地味な歯ブラシが、世界の健康と生活の質の向上に重要な役割を果たしたのです。

しかし、歯みがきの主流化は、第二次世界大戦前後のわずか数十年の間に、あっという間に進んだのです。1928年2月、天才化学者ウォーレス・カロザースは、ハーバード大学の教授を辞して、化学大手デュポンに入社しました。カロザースの研究チームは、たくさんのクールなものを生み出しました。世界初の合成ゴム「ネオプレン」を2年で完成させたほか、世界初の合成ムスク「アストロトーン」も開発しました。

カロザースのもっともよく知られている発明は、1935年に世界初の合成繊維であるナイロンを発見したことです。

ナイロンの発明は、これ以上ないほど良いタイミングでした。米国は、絹を日本に大きく依存していましたが、1930年代、日本との緊張関係が高まりました。1930年代後半には、アメリカは世界の絹の5分の4を輸入しており、その90パーセントを日本が占めていたのです。そして、アメリカのシルクの約75〜80%は女性用ストッキングに使われていたのです。

シルク革命

絹は大きな産業であり、アジアの多くの主要な国々を豊かにしていました。 一橋大学のデビン・マ教授によれば、東アジアの絹織物は、1850年から1930年まで、日本と中国の主要な輸出品目となっていました。

1800年代後半になると、手製糸は機械製糸に取って代わられ、1900年代初頭には、科学的に育種された蚕が従来の品種に取って代わるようになりました。

1880年代に中国で機械製糸されていた絹織物は10%程度だったと、マ教授は推定しています。それがわずか20年後の1900年から1910年にかけて、60%以上へと飛躍的に増加しました。日本での機械製糸への移行はもっと早かったのです。1880年代には40%以上でしたが、1900年から1910年にかけては90%以上に達しました。

1868年まで鎖国状態にあった日本の絹織物の機械化は、さらに目覚ましいものがあります。『Fabric of Civilization: How Textiles Made the World』の著者であるバージニア・ポストレル氏は「1872年、政府はフランス製の機械を輸入し、最初の製糸工場を設立しました。(中略)1890年代半ばには、手製糸は国内の生糸生産の半分以下になりました。」と述べています。

これは、私たちが何度も見てきた「ディスラプションのパターン」のひとつです。既存のテクノロジーより劇的に優れた新しいテクノロジーが、わずか10〜15年で市場を席巻するのです。

機械製糸の台頭により、養蚕家たちは絹糸の増産と品質の均一化を迫られるようになりました。1910年代、温度計や湿度計などの西洋の発明品と科学的方法を用いて「日本の科学者は、長い伝統を持つ養蚕業とメンデルの遺伝学による品種改良を組み合わせ、生産性の高いハイブリッド蚕を開発しました。その繭は、特に機械製糸に非常に優れていたため、この新しいタイプの蚕が日本中を席巻したのです。」

日本と長江下流域のシルク産業における科学的な交配種蚕の割合

データ出典:Debin Ma (2004). ‘Why Japan, Not China, Was the First to Develop in East Asia: Lessons from Sericulture, 1850–1937’. Economic Development and Cultural Change.

マ教授によれば、1914年には日本の絹織物生産の10%以下であった科学的交配種の蚕は、わずか8年後には80%以上、1924年には90%以上になったといいます。中国の長江下流域でも、日本の変遷から約13年後に、1928年には10%以下だった交配種が、1937年には90%以上と、同様に劇的な変化を遂げています。

これは一対一の代替ではなく、市場の拡大を促しました。1920年から1930年にかけて、アジアの絹織物生産量は、機械製糸革命と科学的養蚕革命以前の6倍以上となりました。

日本は製糸の機械化、交配種蚕の品種改良で中国に対抗し、リードしました。1873年には、中国は日本の3倍の生糸を輸出していました。それが1930年には完全に逆転し、日本の輸出量は中国の3倍となりました。

これもまた、私たちが見てきた「ディスラプションのパターン」のひとつです。新しいテクノロジーはしばしば部外者によって採用され、ある時代のテクノロジーの勝者が次の時代の敗者になることがあります。日本は中国より先に絹糸の機械製糸を採用し、科学的に品種改良された蚕の開発を主導したため、1930年代初頭には絹糸市場を独占していました。

しかし、この新時代は長くは続きませんでした。1938年、デュポンがカロザーズのナイロン繊維をはじめて市場に投入しました。1940年5月、デュポンのナイロンストッキングがはじめて発売されました。絹よりも若干高価ではあったものの、ナイロンストッキングの方がはるかに優れた製品でありながら、手の届く価格帯であったため、大ヒットとなりました。RethinkXの創業者であるトニー・セバの分類では、ナイロンは「上からのディスラプション」であり、当初は高価でしたが、既存製品よりも優れた性能を発揮するようになりました。デュポンのプレスリリースには、ナイロンは「鋼鉄のように強く、クモの巣のように細かく、しかもどの天然繊維よりも弾力性があり、美しい光沢を持つ」と書かれていました。

『Nylon: The Story of a Fashion Revolution』の著者スザンナ・ハンドレーは、「ナイロンは1年足らずで一般に知られるようになり、繊維の歴史上、デュポンのナイロンほど即座に、かつ圧倒的な大衆性をもって受け入れられた製品は他にない」と記しています。デュポンはわずか2年で、婦人用メリヤス市場の30%を獲得しました。

真珠湾攻撃でアジアの絹の輸出は急停止しました。ナイロンストッキングの登場後、日本からの絹の供給が途絶えたことに加え、デュポンがパラシュート、ロープ、航空機燃料タンク、防弾チョッキ、ハンモック、蚊帳などの製造にナイロン生産を振り向けたため、すべての女性用ストッキングの売れ行きが悪化しました。

ナイロンは「戦争に勝った繊維」として知られるようになりました。4年間、アメリカの女性たちは、レッグ・メイクアップ(脚に塗ってストッキングを履いているように見せる化粧品)のような代用品で精一杯の「やりくり」をしなければなりませんでした。

終戦後、ナイロンストッキングの買い戻しが殺到し、限られた量をめぐって争奪戦が起こり、いわゆる「ナイロン騒動(Nylon Riots)」と呼ばれました。その後、絹ストッキングの売れ行きは回復することはありませんでした。

約5年の間に、世界の絹の需要のほとんどが消滅してしまったのです。アメリカの婦人用メリヤス市場では、ナイロンが0%から実質100%になりました。ヨーロッパもナイロンに熱狂しました。『ヨーロッパ戦後史(Postwar: A History of Europe Since 1945)』の中で、トニー・ジャット氏は「1950年、西ドイツの小売業者が販売した婦人用ナイロンストッキングはわずか90万足でした。4年後の1953年には、5,800万足が売れました。」と述べています。

しかし、ナイロンが婦人用メリヤス市場の100%を制覇したことは、合成繊維産業のはじまりに過ぎません。

口腔衛生革命

ナイロンがはじめて使われたのは、実は女性用のストッキングではなく、歯ブラシの毛でした。歯ブラシそのものは、今から約1300年前の中国・唐の時代に発明されたと考えられています。それ以前は、棒の先を細くしてゴミを落としたり、酢や塩、オリーブオイル、アルコールなど、さまざまな材料でつくった洗口液で歯を磨いたりしていました。ブラシの柄は何百年も前から骨や象牙で作られ、毛はイノシシの首の粗い毛でつくられていました。

「ディスラプションのパターン」は、何千年も変わらないものが、10年や20年で急速に覆されることがあることを明らかにしています。

1938年2月、シカゴの Weco Product Company が、デュポンの合成ナイロン毛を使ったはじめての歯ブラシ「Dr. West’s Miracle-Tuft」の販売を開始しました。1938年に『Life』誌に掲載された Weco の広告には「今日まで、良い歯ブラシはすべて動物の毛でつくられていました」と書かれています。

ジョンソン・エンド・ジョンソンは、翌年、独自のナイロン毛歯ブラシを発表しました。現在では、柄の部分が竹などの天然素材であっても、ほぼすべての歯ブラシにナイロン毛が使用されています。

第二次世界大戦の頃、米軍兵士の健康問題に対処するため、歯磨きが命じられました。このとき、新たに開発されたナイロン毛は、歯ブラシの大量生産と普及を可能にしただけでなく、安価に提供することができました。さらに戦時中、チュレーン大学医学部の学長を務めていたチャールズ・バス博士が、ワックス入りナイロン製デンタルフロスを発明しました。絹のストッキングがナイロンのストッキングに取って代わられたのと同じように、絹のフロスがナイロンのフロスに取って代わられました。

1900年代初頭には、骨や象牙のハンドルに代わってセルロイドやベークライトのプラスチックが使用されていましたが、1951年にデュポンがアクリル樹脂ルーサイトを発明し、さまざまな色の透明プラスチック歯ブラシハンドルが登場するようになりました。1940年代初めから、定期的な歯磨きが増えてきたため、プロクター・アンド・ギャンブルはフッ素入り歯磨き粉の開発計画を開始し、1955年にクレストブランドとして発売され、現在でも米国でもっとも売れている歯磨き粉ブランドであるコルゲートと市場を二分しています。

第二次世界大戦以前は、猪毛のセルロイドやベークライトの柄の歯ブラシを使い、歯磨き粉はフッ素が入っていないもの、チョークや炭などの研磨剤が入っているものもありました。しかし、ナイロンの発明により、約15年の間に、アクリル柄のナイロン毛歯ブラシ、ワックス入りナイロン製デンタルフロス、フッ素入り歯磨き粉など、個人の口腔衛生革命が起こったのです。

これもまた、もうひとつの「ディスラプションのパターン」です。ある目的のために開発されたテクノロジー(この場合は絹に代わるナイロン)が、口腔衛生など無関係の分野で意図しない革命を起こすことがよくあります。

クレムソン大学生物工学科のマット・エルメス准教授は「化学者は、特定の特性を持つ一連の材料を設計・開発することができ、それをもっとも基本的な分子からおこなうことができるという基本的な考えから生まれた、一連の合成材料が実際に存在するのです」と語っています。

現在、世界の繊維生産の70%以上を合成素材が占め、ナイロン、アクリル、ポリエステル、ポリエチレン、ポリプロピレンが合成繊維生産量の約98%を占めています。ポリエステルだけで繊維消費量の半分以上を占めています。しかし、最後に笑うのは、絹の科学的生産なのかもしれません。

絹の最後の笑み

サンフランシスコ・ベイエリアのボルトスレッズをはじめ、いくつかの企業が遺伝子組み換え微生物を使ってシルクタンパク質の生産を試みています。

バージニア・ポストレル氏によれば「この試みが成功すれば、シルクは昆虫から取る必要はなくなります。ビールのように巨大な発酵槽で醸造されるようになるのです。そして、このプロセスは、シルク以外のものにも影響を与えます。ウールもタンパク質のポリマーです。カシミアもそうです。私たちには想像もつかないような繊維が無数にあるのです。」

素材における次の大革命は、もうすぐそこまで来ています。もしかしたら、シルクストッキングの流行が復活するかもしれません。しかし、それ以上に興味深いのは、素材のディスラプションが、安価に、早く、そして環境に負荷をかけずに衣服を製造する可能性を予感させることです。

あるいは、別の無関係な分野で革命が起こるかもしれません。ボストンに本社を置くMoriは、食用で味のないシルクの薄い層で食品をコーティングすると、腐敗が遅くなることを発見し、プラスチック包装をなくし、食品の腐敗を減らすのに役立つ可能性があることを示しています。

このような企業が、私たちの着るもの、食べるものの未来に与える潜在的な影響は、現在の支配的な農業産業への影響と同様、迅速かつ重大なものとなる可能性があります。すでに何度も見てきたように。

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本稿は「ディスラプションのパターン」連載の第7回です。

著者:ブラッド・リビー(Bradd Libby)RethinkX リサーチフェロー

元記事:RethinkDisruption “Dropping Silk Stockings Created an Oral Health Revolution (The Pattern of Disruption, Part 7)” June 30, 2022. RethinkX の許可のもと、ISEPによる翻訳